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父の手 [産婦人科医]

ボクの父は、産婦人科の開業医です。
ボクが生まれる1年前に開業して、ずっとお産を中心にたった一人で頑張ってきました。
もちろん、母の協力がなければできなかったと思いますが。
数年前、開院50周年を機に、兄に院長のポストを譲り、現在は悠々自適の生活です。
しばらくは週1回外来診療も担当していましたが、それもやめています。
とはいっても、医院のすく隣に暮らしており、
帝王切開や吸引分娩などがあれば、オブザーバー的に立ち合い、
兄をうまくサポートしています。
その父は、今年、91歳です。

春先から、不整脈が出始めていました。
頭ははっきりしているのに、ずっと胸がもやもやして気持ち悪い、
死んだ方がましや。
などというので、休みの日には何度も顔を見に実家に戻っていました。
結局、心不全兆候も出始めたので、本人の希望も強く、
実家にほど近い病院で、アブレーション手術を受けることになりました。
手術は、ボクの休診日でもあったので、朝からずっと付き添っていました。
母や兄たちは、それぞれやることがあるそうで、一番ヒマなのがボクだったというわけです。

緊急手術がその前に入ったせいで、少し開始がずれ込んだのですが、
いよいよ手術に向かうときになり、
やっと手術が受けれると喜ぶ一方で、一瞬心細そうな表情もみせたので、
兄たちと一緒に、父の手を握って、励ましていました。

久しぶりに握った父の手は、
大きくて、エネルギーにあふれていました。
この手で、50年、いや、60年、
たくさんのお産に立ち会い、赤ちゃんを取り上げていたのです。
助産師は雇っていなかった父は、実際に自分の手で、取り上げていました。

 「父が生きている間に(大袈裟ですが)、父の手を握る機会があってよかったな。」
そう思いました。

このエネルギーって、
親子だからなのだろうか?
父の手が特別なんだろうか?
産婦人科医だからなのだろうか?

いろんなことを思いながら、
血管造影室に入っていく父を見送りました。

手術は、5時間ほどかかりましたが、無事終わりました。
帰ってきた父は、麻酔の影響で少しぼーっとしていましたが、
受け答えははっきりしています。

 「よかった。」

アブレーションを受けるべきか悩んでいるときに、背中を押したのが自分だったので、もしなんかあったら、母や兄たちに申し訳ないと思っていたのです。
手術が終わってから、父の回復は思いのほか順調で、
浮腫んでいた顔や足も、徐々に回復してきました。

「看護婦さんの何人もが、わしにお産で子供をとりあげてもらったって、いいにいきてくてれん。」
「体拭いてくれる時も、名前じゃなくて、『先生』って呼んでくれるねん。」

働いている看護師さんの何人もが、ボクの実家の産婦人科医院でお産をしていたのです。

 「大事にしてもらって、よかったね。」
本当に、父は幸せそうでした。

 「でも、手術、怖かった?」
と、聞いてみました。

「べつに。」

 「そうなんや。」

「手術の時、おまえらが、順番に、手握ってくれてたやろ?」

 「うん。」

「その時に、お前らの手が、あまりにもすごかったから、びっくりしててん。」

 「どういうこと?」

「『うわぁー!これが、たくさんの人の命を救ってる、医者の手なんや。すごいなぁ。』 
って思ったわ。なんかわからないけど、すごかったわ。」

父は、これから自分が、もしかしたら命に係わる状態になるかもしれないという手術の直前に、自分の息子たちの手の感触に、医者としてのエネルギーを感じたんだそうです。

ボクが、手術の直前に感じた父の手のエネルギーは、
同じように、ボクらから父へと伝わったようです。

心から尊敬する、産婦人科医として生きてきた父に、
もしかしたら、少しでも近づくことができているのかな。
そう思えて、
少しうれしくなりました。

実は、
ボクは、今までも、今でも、
お産や手術の時、
必ず、患者さんと握手をしたり、手を握りながら、
無事に終わったことを報告します。

 「お疲れ様。無事終わりましたよ。」
 「よく頑張りましたね。」

手術の前にすることはあまりなかったのですが、
これからは、
緊張が強い患者さんには、
握手をした方がいいのかなと思いました。

まだまだ、目指す目標は高いです。
これからも、修業は続くようです。


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次男が帰ってきた [子育て]

長い長い不登校を乗り越え、
この3月、次男は無事に中学を卒業しました。
卒業式では、
一人ひとり、校長先生から卒業証書を手渡していただくのですが、
合計、1年ちょっとしか行ってないので申し訳ない気持ちとありがたい気持ちが入り混じった、複雑な気持ちで眺めていました。
式の最後に卒業生が、父兄に向かって合唱を聞かせてくれたのですが、
次男は、自分で志願した指揮者の大役を見事に果たしました。
卒業生の歌声は、思春期独特の若々しい音色で、
畳みかけるように、流れるように、美しかったです。
もちろん、この卒業生の中には、
ボクが出産時に担当した子供たちが、何人もいて、その子たちの歌声もあるかと思うと、
自然と涙がこぼれてきました。
(15年前も、お産の立ち合い、よく頑張ったな、と。)
そんな、ボクにとって宝物のような歌声を、
次男が、指揮者として一つにまとめてくれているのです。
親のボクだから許して欲しいのですが、
この卒業式で、次男が、申し訳ないけど、一番、カッコよかったと思いました。

そんな次男が、
自ら選んだ高校は、
北海道の男子校でした。
中学3年になって、いくつもの高校の入試説明会に参加しましたが、
彼が行きたいという高校がなかなか見つからず、
偏差値で選んでも、その高校の大学合格者数で選んでも、
食堂や自習室といった充実した設備でも、
次男が思い描くイメージと少しずつ違い、ぴったりくる高校が見つかりませんでした。
なんとなく、
ボクのクリニックからほど近い、
仏教系の男子校が、さしあたり第一志望となりました。

いろいろ情報を集める中で、
北海道の高校が目にとまりました。
ボクの高校の恩師に相談したときに話題に上がったことがあったからです。
名の通ったミッションスクールです。

 「とりあえず、説明だけでも聞いてみたら?」

次男は模試があったので、
奥さんがスケジュールを調整して、ひとりで参加しました。
「ここっ! すごくいいっ!」
説明会から帰ってきた奥さんが、大喜びでした。

「ほんまかぁ?」
と半信半疑の次男でしたが、
次の週の11月の連休を使って、
奥さんと二人で、実際に北海道まで見学に行きました。
(ちなみに、説明会は大阪でした。)
副校長先生が時間をとって面接もしてくださり、
校舎や寮のなかも丁寧に見学させてもらいました。

「お父さん、北海道、行かせてくれる?」
 「もちろん!」
「寂しくない?大丈夫?」
 「なんとか、頑張るわ。」

目標が見つかった次男のまっしぐらな姿は、
先だってのブログにも書いた通りでした。
無事に志望校に合格して、
結局、勉強を始めてから、たった11か月で合格してしまいました。

入学式の日は、ボクもクリニックを休診にして参加しました。
入学式の当日、雪が降っていて、しかも、前日には寮に入ってしまっていたので、
校門で家族写真は撮れませんでした。
すでに、前に向かって歩き始めているネクタイ姿の次男をみて、
 「しんどくなったら、また、休んでいいからな。」
心の中で思いながら、固い握手をして、北海道を後にしました。

京都に帰り、次の日から仕事をしていました。
昼の2時には電話があり、
「しんどい。帰りたい。」
と。
 「早っ!」
笑うしかありません。
数日に一回のペースで、夜になると電話がありました。
最初のうちは、足りないものを送ってほしい、と。
1週間して、半泣きの声で、
「自分がなぜ生まれてきて、どうして生きていかなければならないのかがわからくなった。」
と言い出す始末。
話し言葉に、標準語の占める割合が増えています。
 「仕方がない。」
次の週には、入ろうとしておるクラブの話、
そこにどうやら自分の居場所を見つけ始めた気配。
 「よし、よし。」
そして、次には、
「あと、1週間で帰れる。お鍋食べたいねん。」
 「オッケー!」

そして、昨日、次男は自分で飛行機に乗って帰ってきました。
寮での話、友人や先輩の話、先生の話、いろんなことを
空港まで迎えに行った奥さんに、
家に着くまで機関銃のように話しまくったそうです。
家で待っていたボクには、
2回も同じことを話すのはめんどくさいと話してくれませんでしたが、
「連休中に、服買いに行くの、付き合ってな。」
と、京都での休暇を有意義に過ごしたいようです。

たった4週間しか経っていないのに、
ずいぶん成長したように感じます。
今、彼を支えてくれている、先生や先輩、そして友達に感謝するばかりです。

 「健康で、笑顔でいてくれるだけで、十分。」

彼が、不登校であった長い長い時間、
そう自分に言い聞かせてきました。
ボクが笑顔でないと、彼が笑顔でいられなくなるからと、
自分がどうすれば、笑顔でいられるか、
自分への問いかけの日々でもありました。

子育ての難しさは、
その時点、その時点で、先の見えないことです。
産声を聞くまでは、不安だらけのお産のようです。
今更ながら、そう感じます。

令和という、新しい時代にかわり、
この連休がおわり、
彼をまた、北海道に向けて、送りだすとき、
きっと、また、
希望に満ちた、美しい笑顔を見せてくれるのでしょう。

感謝です。

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死にもの狂いでした [子育て]

子育てなんて、
たしかに、ある意味、「死にもの狂い」です。
子供が小さいときは、
なりふり構わず、授乳したり、おむつ交換したり、
いつ寝て、いつ起きてるか、わからないくらい。
でも、そんな中にも、子供が少しずつでも育ってくれて、
輝くような笑顔を見せてくれるから、
それをご褒美に頑張れるんです。

先日、ボクのクリニックに、
昔、お産を担当した方が受診されました。
順番が来て、
新患さんが記入する、問診用紙が机の上に置かれました。
その名前を見た瞬間、
 「あ!」
見覚えのある名前でした。
 「この方、ボクの患者さんだね!」
「先生がお産を担当されたそうです。」
問診を聞いた助産師さんが教えてくれました。
問診用紙を見ると、お産は「帝王切開」に〇がついていました。
 「そうやったわ。たしかに、帝王切開したわ。」

名前を呼ばれて診察室に入ってきた、その患者さんは、
ボクの顔をみて、にっこり。
以前と、全然変わらない、落ち着いたやさしい笑顔でした。
実に、15年ぶりの再会でした。

「先生、おひさしぶりです。」
 「ほんと、久しぶりですね。お子さんは元気にされていますか?」
「はい、元気です。もう高校生です。」
 「そうですか、よかったー。」

短い会話を交わしたのち、今日、本来受診した理由を聞いて、診察や検査をしました。
診察が終わって、
 「ボク、少しずつ、思い出してるんですが、妊娠と出産、ほんと大変でしたよね?」
「はい、死にもの狂いの15年間でした。」

着替えながら、カーテン越しではありましたが、
それでも、その方の、自信に満ちた笑顔を感じ取ることができました。

 「お義父さん、お元気ですか?」
と、

次にこう声をかけようと思ったのですが、
ボクはやめました。
というより、できませんでした。
そのとき、ボクは、
涙が流れてくるのを抑えることができず、
言葉にならなかったのです。

ネットでもコンプライアンスが厳しい昨今ですが、
もう15年も前なので、
その理由を、このブログに書くことを許して欲しいと思います。

たしか、
妊娠中期に入ったばかりのころでした。
妊婦健診で、いつもとは違う患者さんの雰囲気で、心配になりました。

 「どうしたんですか?」
「実は、主人が急に亡くなったんです。」
 「えーっ!」

ご主人さんが亡くなった理由はここで書くことはできませんが、
この方は、とにかく、今の自分の妊娠を、
無事に終えようとする、強い意志を感じました。

幸いにも、妊娠経過は順調で、無事に満期を迎えることができました。

そして、陣痛が始まり、入院になりました。
「よろしくお願いします。」
 「頑張りましょう!」
入院に付き添っていたのは、お義父さんでした。
背の高い、上品な紳士です。
少なからず、緊張されていました。
 「よろしくお願いします。」

ボクは、どんなときも、家族の希望があれば、
立ち合い出産を認めていました。
しかしながら、義父と産婦さんの二人だけの立ち合い出産は、
この時が、最初で最後でした。
陣痛が進む連れて、痛そうになっているのですが、
やはり、
ご主人やお母さんではないので、腰をさすってあげるとかはされずに、
ただ、陣痛室の椅子に腰かけて、黙って付き添っておられました。

夜中になり、分娩がなかなか進行しませんでした。
記憶があいまいなのですが、
たしか、回旋異常かなにかだったと思います。
破水していたのでしょうか?
時間をかければ、もしかしたら、自然分娩できたかもしれません。

十分時間をかけて陣痛を頑張った、その方と顔を見合わせて、
ほぼ、同時に、「帝王切開」という言葉が出たように覚えています。
その言葉で、深くうなづかれました。

陣痛ばかりではなく、
妊娠期間からずっと、この方は頑張ってこられました。
なによりも無事に赤ちゃんを産まないといけなかったのです。
帝王切開がすべてを解決するとは思いません。
でも、その時のボクは、
 「もう十分頑張りましたよね。」
という気持ちでした。

内診の時は、陣痛室の外へ、席を外されていたお義父さんに、
分娩の経過の問題、帝王切開が選択肢になること、
帝王切開の内容や危険性など、ご家族として説明をしました。
ずっと、冷静に、聞いておられ、
最後に、ひとこと、
「それで、お願いします。」
とだけおっしゃいました。
帝王切開が終わり、
無事に、元気に生まれた赤ちゃんと面会されているときも、
終始、無言でした。

その時のボクは、無事に赤ちゃんを取り上げないといけない、という、
産科医の使命があったので、ホッとした思いが一番だったかもしれません。
しかしながら、
15年の時が経った今、
この時の、お義父さんのお気持ちがどうだったかを、
考えると、胸が詰まります。

ボクには娘はいませんが、息子がいます。
自分も年齢を重ねてきたので、
今になってこそ、
理解できる気持ちもあります。

 「お義父さん、お元気ですか?」
なんて、気楽に尋ねることなんかできませんでした。
きっと、
お義父さんは、
息子を亡くした悲しみと、
お嫁さんの死にもの狂いで頑張る姿や孫の元気に育つ姿を見て、
安堵する気持ちとが入り混じり、
ボクがどんな言葉を並べ立てても陳腐になってしまうほど、
苦しい思いをされたんじゃないかと思いました。

たくさんのお産に立ち会い、
患者さんやご家族に寄り添い、向き合ってきたつもりでしたが、
15年経たないと理解できなかった、
ご家族の気持ちがありました。

せめてもの、ボクの救いは、
この方が再会したときに、
「死にもの狂いでした。」と過去形で語ってくれたことです。

これからも、産婦人科医として、この方にできることはまだまだたくさん残っています。
そして、ニコニコと、ずっと笑顔でいてほしいと思います。


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2年ぶりのサンタクロース [子育て]

メリークリスマス!

独立して丸3年が経ちました。
前ほど、いろんなことに憤りを感じることもなく、
ただ、ニコニコと毎日が過ぎていくばかりです。

昨年、「クリスマスの賞味期限が過ぎてしまった」という表現をした、次男は、
高校受験まっしぐらです。

朝、目覚まし時計で時間通りに起きてくると、
リビングのこたつに座り、
いきなり勉強を始めます。
ほいほい、と、朝ご飯を並べると、
問題集や参考書から目をそらすことなく食べ始め、
食べながら、勉強しています。

勉強しつつ、食べつつ、朝の情報番組に、なんでやねん、とツッコミを入れています。
 「どうかしてるぜ!」

ボク自身、
ご飯を食べながら勉強したことがないので、彼の勉強の本気度は、
おそらくボクの想像を超えているんだと思います。

そんな次男が、
「なあなあ、お父さん、まだサンタ間に合うか?」
というのです。
 「余裕やろ。」
それは、まだ12月の半ばのことでした。
「去年、お願いしてないから、ちょっと高いもんでもいいかな?」
 「ええんちゃう?」
「ウォークマン欲しいねん。音楽、聴きたいわ~。」」
 「頼んでみたら?」
もうすぐ高校生になるというのに、サンタの存在を信じていることも含め、
すべてが規格外の人間じゃないかと思えるようになっています。

クリスマスの朝、
冬休みだというのに、いつもの時間に起きてきて、
いつものように、リビングで朝ご飯待ちの時間で勉強しています。
 「おはよう。メリークリスマス!」
「メリクリ~」
こちらに顔向けることもなく、勉強しています。
 「サンタさん、どうやった?」
「来てたみたい。寝相が悪くて、ベッドの下に落ちてたけどな~。」
 「で?」
「で?って、それだけやん。」
勉強しながら、会話がそれ以上続きません。

あんまりうれしくないのかなと思い、
心配していたら、

「受験終わってから、いっぱい音楽入れるから、手伝ってな。」

ボクが思っている以上に、次男は大人になっていたんだなと思いました。
いつまでも、こういうふうでいて欲しい。
そう思うのは、もはや贅沢でしょうか?

今年も、すべての子供たちと大人たちに、
サンタクロースの夢と希望が届けられますように!




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そこまでやさしくなれるんですね [妊娠]

開業して3年目、最近、少しずつ忙しくなってきました。
患者さんの待ち時間はなるべく短くしたいと心がけていますが、
自分が大切だと思うことは、やはり手を抜きたくありません。
妊婦健診の患者さんは、超音波検査や内診、そして、生活指導があり、一人あたりの診察時間がどうしても長くなりがちです。
うちのクリニックは分娩を取り扱っていないので、
周辺の施設と連携したうえで妊婦健診をおこなっていますが、
診察が終わっても、それぞれの妊婦さんに不安や心配事がないか尋ねます。
そして、スタッフも助産師さんがいるときは、
ぼくが健診したあとにも助産師さんによる相談や指導も行っています。

そんな中の、一人の妊婦さんのことです。

その方は、もともと妊娠を希望してうちに紹介されてきた方です。
その方のホームドクターが、ボクの高校の同級生で、大学は1年先輩の内科医で、
結婚してしばらく経っても妊娠しないと、ボクに紹介してくれたのです。
何かと不安が強い方でしたが、いくつかの検査で不妊の原因も判明して、
その後、なんとか無事に妊娠に至りました。

妊娠しても、やはり不安は強く、診察時間は長くなります。

その方が出産する施設でも健診を受けているのですが、
ときどきうちのクリニックでも健診を受けに来られます。
忙しい大きな病院の外来診察では、限られた時間の中で、
この方の不安はなかなか解決できません。
ただ、妊娠経過にすこし心配があったので
出産する病院での継続的な健診を受けるよう、紹介しました。

そして先日、久しぶりに予約を取って健診に来られました。
妊娠の経過が落ち着いていることもあり、
「心配事」の相談があるそうです。
妊婦健診や詳しい超音波検査だけでなく、
ボクと話すことで、いろいろな不安が少しずつでも解決します。
診察室に入ってこられたとき、
長かった髪の毛をバッサリと切り、ショートカットになっていました。
女性が髪の毛を切るときは失恋と、昔から相場が決まっているもんですが、
妊娠や出産をきっかけに髪を切る方も少なくありません。

うちのスタッフが、「髪の毛、切ったんですね?」と声掛けをすると、
「はい、ヘアドネーションしました・・・。」

 「??」

最初、恥ずかしながら、何のことかわからなかったのですが、
すぐにスマホで検索して、納得しました。
切った髪の毛をウィッグにして、化学療法で抜けてしまった子供たちなどに提供するのです。

「どうせ切るなら、なんかの役に立ちたいと思ったので・・・。」 
 「なるほど。いいことですね。」


「なんか、夜になると子宮の左だけが突っ張る感じあるんですが、胎盤とか大丈夫ですか?」
「病院の健診は診察時間が短くて、聞きたいことが聞けないんですが、その病院で健診を続けてて大丈夫ですか?」
「病院の先生に、あまり動き回らないように言われたんですが、どこまでならいいんですか?」
「陣痛が来たらどうしたらいいんですか?」

妊娠は、不安だらけです。
妊娠のしんどさを、経験した人ならわかってもらえると思いますが、たぶんその8割くらいが「不安」です。
「案ずるより産むがやすし」という言葉がありますが、
やってみたら大したことなかった、という意味ではなくて、本当は案ずることが一番しんどかった、という意味ではないかとも思います。

この方の、案じてばかりの妊娠期間は、
自分やおなかの赤ちゃんのことばかりに収まらず、
ついに、病気と闘っている子供たちのことにまで及んでいたのです。
いいお産をしなくっちゃ、とか、
元気な赤ちゃんと産まなくちゃ、
という責任感を通り越しているのです。

 「そこまで、やさしくなれるんですね。」

素直にそう思いました。

 「大丈夫、絶対、いいお産ができますよ。」

だって、よその子供たちのことまで考えることができるんですから、
どんな痛みがあっても、あなたの心配を超えることはないでしょう。




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働き方改革は素晴らしい [産婦人科医]

気が付いたら、
最後にこのブログを更新してから半年が経過していました。
ゴールデンウィークは、いま取り組んでいるレーザー治療の研修として、
イタリアに行ってきました。
1週間ほどの日程の中で、
先駆者として数多くの論文を発表し、実際に日本でもレクチャーを受けたこともある先生の、貴重な勉強会や、実際にレーザーを組み立てている工場見学など盛りだくさんでした。
合間に、レオナルドダヴィンチの「最後の晩餐」やウフィツィ美術館を見て回り、
ヴェネチアでゴンドラにも乗り、
研修以外にも有意義な旅となりました。
20年ぶりに訪れたイタリアは、何もかもまったく変わっていませんでした。

また、その1週間後に日本産科婦人科学会が仙台であり、
最近取り組んでいる、同じ診療内容で、ランチョンセミナーをさせてもらいました。

移動距離はざっと、12,000キロくらいでしょうか?
さすがにくたびれました。

周産期医療の最前線で、頑張っていたころには考えられないことです。
産婦人科医不足で、ぼくが「頑張っていた」ころは、
ぼくは、1年のうち、6日間しか京都市から出ることができなかったことがあります。
そして、京都市の、丸太町通より南に行くことも、年に2、3回でした。
たまに、京都駅周辺に会議で出かけるときは、うれしくて、「お土産」に?、
ソフマップでパソコンを買ったりしました。
また、5年に一度の専門医の更新に必要な、学会のポイントがギリギリ足りなくて、
慌てて、近場の研究会に出席しまくったのを覚えています。

医会の理事になり、
そういう仕事が増えてくると、
大学の知り合いの先生が、「珍しいですね、病院、今日は落ち着いてるんですか?」
などと、よく声をかけてくれました。

あの頃のボクは、
常に患者さんに張り付いて、どんな時も、最短の時間で駆けつけることで、
お母さんや小さな命をずっと守り続けていました。

でも、ああいう診療体制は、もうやってはいけません。
「働き方改革」
素晴らしい言葉です。

働き方改革に必要なものは、
第一に、チームの存在でしょう。
そして、
そのチームには、クオリティの均一化が必要です。
ドクターによって、診療スタイルが変化することはあっても、
診療のクオリティがばらついてはいけないのです。
そのために、
教育や研修、ガイドラインの充実が必要となります。
どんなときも、患者さんにとって、均一でハイレベルな医療が提供されるべきなのです。

10年ほど前にボクがやっていた診療スタイルは、
今の、働き方の感覚でいうと、
完全に「アウト」でしょう。

結果、
たくさんの、大切な小さな命やお母さんを助けることができましたが、
一方で、
大切な家族がしんどくなりました。

あと、10年早く、
働き方改革が始まっていたら、
どうなっていたんだろう?

幸いにも、
しんどくなっていた次男は、
なんとか元気を出して、
数か月前から学校に通い始めてくれています。
今のところ、
遅れていた勉強を取り戻すために、
へこたれずに頑張っています。

「頑張りすぎるなよ。」

イタリアにも、仙台にも、
たくさんの問題集や宿題(と、少しの漫画)をリュックに詰めて、
ニコニコとボクの旅行に付き合ってくれた次男は、
この5月だけでも、ひと回りも、ふた回りも、成長したように思います。
何度も、彼の笑顔を見ることができて、本当によかったです。

頑張りすぎず、頑張っちゃえる生き方、
そういう余裕のある状態でなければ、
笑顔が生まれてきません。

これからも、たくさんの笑顔に出会えるように、
まだまだ前に向かって、進んでいきたいです。


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いつもとは違うクリスマス [妊娠]

メリークリスマス!
声を大にして、そう叫んできました。
大人たちの愛と希望に包まれながら、
すべての子供たちが、朝目覚めると、
姿が見えないサンタクロースからのプレゼントに、にやけてしまう。
ボクが思う、クリスマスの朝。

でも、今年のクリスマスは少し違いました。

中学生の息子は、
サンタクロースについに手紙を書かなくなり、
それはそれで仕方がないだろうと、ボクはボクで、
彼にプレゼントをすることにしました。
それなりに喜んでくれて、毎日使ってくれています。
 「よかった、よかった。」
でも、手紙を書かなくなった理由は、欲しいものがないからだといいます。
これまで、サンタには、親にはお願いできない、無茶ぶりといってもいいようなプレゼントを手紙に書いていましたが、そういった「わがまま」を楽しくなくなったようです。
なんとなく、寂しく感じましたが、
クリスマスに賞味期限があるとしたら、こんな感じの終わり方なんでしょうね。

そしてもうひとつ。
クリスマスの日に、中絶手術を受けた患者さんがいました。
その患者さんが、麻酔の時に、泣きながら言った一言が、
あまりにつらくて、切なくなりました。
(もちろん、内容はここでは書けません。)

この若い患者さんが、いつか、子供をもって、
同じように、プレゼントをもらった我が子の笑顔を見て、
幸せな気持ちなりますように。

あんな気持ち、こんな気持ち、
すべてひっくるめて、
メリークリスマス!

産婦人科医として、
一人の親として、
人間として、
まだまだ、ボクの修業は続いています。

皆さん、佳いお年お迎えください。

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やっと人生の半分 [産婦人科医]

今月末、ボクは誕生日を迎え、ようやく、人生のちょうど半分を、医師として、産婦人科医として過ごしてきたことになります。
ボクが医師になった当時は、国家試験が4月にあり、合格発表が5月の後半だったため、6月1日付の就職でした。浪人している関係で、やっと今になって、人生の半分に到達したわけです。
産婦人科医になって、女性のキモチをいつも考え、いわゆる女心の複雑さをいつも感じてきました。
(時には、しんどいなと思うこともありました。)
たとえば、
妊娠した分かった時の女性の表情は、本当に複雑です。
やったー!と、ガッツポーズで
幸せを感じている女性ばかりではありません。
今は産めない、産みたくない、産ませてもらえない、
産んでいいと言ってもらえないかもしれない、
産むのが怖い、もしかしたら遺伝的に何か異常があるかもしれない、
誰の子かわからない、
絶対パートナーとの子でない、
どうしたらいいのかわからない、などなど。

とくに開業してからは、こういった悩みを毎日受け止めています。

(大きな病院で産科外来を担当していたころは、産むと決めている女性がほとんどでした。
産むと決めた後に、いろんな不安があって、大きな病院へやってくるのです。)

閉経を迎えた女性のキモチも様々です。
月経痛で苦しんできた方、ずっと妊娠を待ち望んでいた方、
閉経を受け入れるキモチも、本当に様々です。

そして、自分がオトコなのか、オンナなのか(いやいや、もちろんオトコですが)、わからなくなる瞬間さえあります。

ただ、開業して、妊娠という大問題に直面した、若い女性に接する機会も多くなって、自分で気づいたことがあります。

それは、
「こういう時、きっとオトコはこう思っている。」
と感じることです。

ボクのクリニックに来て、どうしようか悩んでいるとき、パートナーの男性が一緒であることは少数派です。彼女らは、自分自身でもちろん考えているのですが、一方で、パートナーである男性が何を考えてるかわからないと悩んでいるようです。
彼女ら、それぞれが抱えているいろんな状況や問題をひとつひとつ聞いていくうちに、
「多分、カレシは今こう考えているのかもしれない。だから、カレシには、こう声をかけてみたらいいかもしれないね。」
などと、会話の中から、男性のキャラの自分がいることに気づくのです。
そして、話していくうちに、彼女らは、気分がずいぶん楽になったように思えます。
妊娠は、彼女らにとって、最大のピンチかもしれませんが、
人間として、自分のみならず、パートナーにとっても、
大きく成長するきっかけになると信じています。

彼女らは、女性である自分を、女性のキモチがわかる人に共感してもらい、女性としてのアドバイスが欲しいと思う一方で、
パートナーのキモチがわからず、不安に思い、パートナーの理解できない言動、つまり、オトコのキモチを解説してほしいと願っていることに気づくようになりました。
世の中で、オネエと呼ばれている男性が、男性からも女性からも受け入れられているのは、きっとそういうオールマイティさが求められているからなのではないでしょうか?
(それ以外に、性的マイノリティゆえの寛容さもあると思います)

長い人生の半分もかけて、ようやく気付いたことが、たったこれだけなのか?と悲しく思う瞬間もありますが、ボクにとっては、この時間は欠かすことができない時間だったと思っています。

産婦人科医であることが人生の3分の2を占めるまでには26年以上かかりますが、
80歳で見えてくる新しい次元の世界があるとしたら、
残りの人生がすごく楽しみになってきました。

開業して「毎年、自分の誕生日に、お産に立ち会う」という、ボクの楽しみはなくなってしまいましたが、今思うと、それが最高の贅沢であった気づかされます。

10年後、いやいや、20年後の自分をイメージして
まだまだ、ボクの修業は続きます。

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線香花火 [子育て]

中学生の次男が学校に行かなくなって、
もうずいぶん時間が経ち、5回目の夏休みが来ました。

「長い長い夏休みやな。」と、無理せずに、
精神的にもストレスがないように穏やかに過ごす毎日です。

そんな彼が、昨日の昼間、
「花火したい。」
と言い出しました。
何年か前にもらった、子供用の花火のセットを出してきて、
今すぐやりたいと言うのです。
「明るいときにどんなふうに見えるか、見たいねん。」
 「なるほど、面白そう!」

彼が大好きな線香花火に、火をつけます。
水を張った小さなバケツの中で、
線香花火は、音を立てて、小さく、しかし、力強く、燃えていき、
最後は、ぽちょんと、水の中に落ちていきます。

パチパチという火花は、暗い夜ならどうなるだろうか、と想像を膨らませます。
煙の多さと、最後のぽちょんの音が面白くて、楽しかったです。
何本かして、納得した彼は、
「残りは夜に。」
と片付けます。

晩ご飯が終わって、ほっこりしていたら、
「さぁ、花火するで。」
と、虫よけスプレーを自分で吹き付け、準備を始めました。
ろうそくに火をつけて、
大きめの花火から順番に楽しみました。
そして、
やはり最後は、線香花火です。
一本あたり、数十秒くらいの線香花火ですが、
不思議なことに、毎回、火花の出かたが違うのです。
先にぶら下がる、赤い玉の大きさも形も少しずつ違うのです。
何本やっても、飽きることがありません。

そして、
パチパチとはじける火花を二人で見ながら、
あとボクは、何度、この線香花火を、次男と楽しむのかな、と
しみじみ思いました。

彼の、この長い夏休みが終わってしまうとしたら、
もちろん、
ボクは、それを望んでいるし、願っているのだけれども、
彼が、大人になって、
いつか、線香花火に興味がなくなってしまうかもしれないと思うと、
切ない気持ちになりました。

「残りは、お兄ちゃんが帰ってきたときに一緒にやるわ。」
と、彼は、線香花火を5本ばかり残して片付けました。
再来週、長男が、夏休みで下宿先から帰ってくるのを楽しみにしています。

夏だろうが、冬だろうが、
昼間だろうが、夜だろうが、
線香花火は、いつも同じじゃなくて、面白くて、きれいで、切ない。
みんなが思う線香花火は、夏の夜の美しさをいうのでしょうが、
それは、昼間のもうもうと煙を上げて、
小さいけど力強く、燃え盛る線香花火を知らないだけじゃないか。
明るいときにこそ、暗くなった夜の線香花火の美しさを想うことができるのじゃないか。
そして、
明るいからこそ、パチパチとはじける光の線を追うのじゃなくて、
ぽちょん、という、最後の音が聞こえてきたんじゃないか。

子育ても、面白くて、楽しくて、切ない。
うまくできている自信もありませんが、
さほど失敗したとも思っていません。
それに、答えは一つとは限りません。

次男が、笑顔でいてくれて、何よりも、健康でいてくれることに、
日々、感謝しています。
家族を思う気持ちを、優しく、わかりやすく、
教えてくれて、ありがとう。

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医師として、気持ちを引き締める日 [産婦人科医]

6月1日は、20数年前に、ボクが医師として、産婦人科医として、社会人として歩き始めた日です。
昔は、国家試験は4月にあり、結果発表が5月だったので、働き始めるのが6月1日になったという訳です。
研修医として最初にオリエンテーションを担当してくれた先生は、当時の病棟副医長でした。その先生とは長い付き合いで、結局、ボクが開業する前に勤めていた病院での上司でもありました。

自分が開業するときも、一番心配をかけて、一番迷惑をかけた先生です。

辛口な時もありましたが、どんな時も、いつもボクの味方でいてくれた大切な恩師です。
開業前に、自分が開業することを決心した時には、息子のことも一緒に心配してくれて、自分にできることがあれば遠慮しないようにと言ったうえで、「頭を冷やしてもう一回考えてみなさい。」と諭してくれました。
しばらく時間をおいて、もう一度、退職して開業する決心が変わらないことを告げに行ったときは、開業して一日何人くらい診察したら採算がとれるんだろうって、真剣に計算してくれました。

開業の時は、先生は、素敵な観葉植物をお祝いにくれました。
胡蝶蘭が多い中、いつまでも枯れない観葉植物という選択は、その先生の人柄そのものだと思いました。

ボクのクリニックは、開業当時にいただいた観葉植物がいくつかあり、どれも大切にしていますが、
先生からいただいた観葉植物は、診察室で患者さんと向かい合ったときに、ボクの左後ろで、ボクを指導しているような位置関係に置いてあります。

自分がつねに、患者さんに向かい合い、そして、ときに寄り添い、信念と希望と愛情をもって医療を続けることができるのは、いつも自分が理想としている医師の姿があり、その姿に見守られてきたからです。そして、今も毎日、見守られています。

何年たっても、追いつけない、追い越せない、自分にとって大きな存在。
少しでも、近づくことはできるのでしょうか?

まだまだ、修業は続きます。

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