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果たせなかったこと [産婦人科医]

この度、開業をするにあたって、
産婦人科医として、
果たせなかったことを考えてみました。

一つは、
自分が取り上げた子どもの、そのお産に立ち会うことです。
今までいた病院では、
約20年前に数年間働いていたこともあるので、
「自分が取り上げた赤ちゃんの、そのお姉ちゃんのお産」は、
3回ほど立ち会いました。
つまり、その患者さんのお母さんが、ボクの担当であった、ということです。

ただ、ボクが取り上げた子どもの、
月経困難(いわゆる生理痛)の主治医をすることはできました。

先日、この患者さんが、いつものように、お母さんと薬をとりに来院されたので、
 「今度ボク、退職するんです。」
「えーっ! 先生に赤ちゃんできたら、お願いしようと思ったんですよ~!」
「さっさと、嫁に行かん、アンタが悪いんや。」
と、すかさず、お母さんのツッコミが・・・。
わはは。

退職して、比較的病院の近くで開業することを告げると、
「どこまでも、ついて行きます!」
って、言ってくれました。
 「ありがとう。」
逆に、そう言ってくれないと、少し寂しい気持ちもしました。

もうひとつは、
自分自身の孫を取り上げることです。

うちの息子が、結婚して、その奥さんが妊娠するとは限らないので、
数の理論から言っても、
最初の件よりも、もっと確率が低くなります。
そもそも、
息子の奥さんが、診察させてくれるような気がしませんし。

あと、果たせなかった残念なことがあります。
息子と手術をすることです。

上の息子は、
今、高校生ですが、
うれしいことに、医師を目指しています。
晴れて、医学部に合格したとしても、
将来産婦人科医になるとは限りません。
臨床研修医で、自分がいる病院にローテーションで来たとしたら、
ちょっとは可能性もあるかも知れませんが。

なぜ、そんなことを考えているかというと、
うちの病院に、
上司の息子さんが数ヶ月前に赴任してきたのです。
ボクと上司は、ボクが研修医からのお付き合いなので、
息子さんは、小さい頃から面識がありましたが、。
まさか、一緒に働くなんてイメージしていませんでした。

上司が、自分の息子さんと一緒に、仲良く手術する姿をみて、
じわっと、うらやましく思いました。
自分が、長年培ってきた、技術やコツ、手術に対する思いまで、
息子に伝えることができたのなら、
どんなにうれしいだろうか、と考えました。

でも、
逆にできそうなこともいくつかでてきました。

いろいろ考えながら、
毎日、過ごしています。

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お世話になりました、お世話になります [産婦人科医]

今日、
ボクは、産婦人科医としてひとつの通過点に立っています。

今月末をもって、20年以上の勤務医生活に終止符をうち、
しばらくの準備期間をおいて、
個人クリニックを開業することにしました。

長い間、
自分が思う産婦人科医としての道を歩いてくることができたのは、
多くの人の導き、励まし、支え、後押し、そして、お叱りがあったからこそだと、
感謝しています。

思い立ったのは、
一年前の、周産期専門医になった頃です。
それまでは、
くじけそうになって、逃げ出しそうになって、
いやになって、泣きそうになって、
もうだめだ、と、
どうにもならないときに、
選択肢の一つとして、
「開業」をという言葉を口にすることもありました。

それでも、
ボクには、たくさんの患者さんや仲間の笑顔をという財産がありました。
どんなにしんどくても、
また、仲間とともに、
笑顔で前に進んでいくことができました。

しかしながら、
体力的な限界を感じ、
残りの人生を考えることが多くなりました。
家でも、日々のプレッシャーから
イライラ過ごすことも多くなりました。

そして、
昨年の12月、
職場に送られてきた周産期専門医の認定証を手にしたときに、
これまで、多くの人に支えられてきたという感謝の気持ちとともに、
「次は何をやろう?」
と考え、
その瞬間、「臨床遺伝専門医」という言葉が降りてきました。
まさに、天の声でした。

周産期医として、
小さな命とお母さんを守り、
後輩の指導を続けていくことは
大切な使命だと考えています。
しかし、日々の診療の中で、
胎児の異常が見つかった場合や遺伝的な問題をかかえる妊婦さんに出会ったときに、
意外と、自分の足元が不安定だと気づくことが多かったのです。
職種が違うんじゃないかという人もいるのですが、
妊婦さんや家族の不安に少しで助けになることができたらと、
考えるようになりました。
婦人科腫瘍の分野でも遺伝的な考えはもはや常識になりつつあります。

すぐに、ボクは大学の遺伝専門の教授に連絡をして、
研修の指導をお願いしました。
順調にいって、あと3年間かかりますが、
新たな修行を始めました。

そして、じつは、同じ頃、
下の息子が、精神的にしんどくなっていました。
生まれてから、ずっとニコニコしていたのに、
多くのストレスを感じるようになっていました。
身体はきわめて健康であったのが、
せめてもの救いでしたが。
きっと、ボクの家でのイライラした姿で、少しずつ、
繊細な彼の心は傷ついていたのかも知れません。
今となっては、申し訳ない気持ちでいっぱいです。
昼夜逆転や不登校の日々を、
きっと、彼自身が自然に乗り越えてくれるものと信じ、
じっと見守るしかありませんでした。
ただ、
いろんなことを勉強し、吸収していく小学生から中学生の時期に、
彼が、誰もいない家で過ごしていることを、
父として、放置することができなかったのです。
自分のペースで仕事をすることができれば、
今よりは、彼のそばにいてあげることもできると思いました。

年齢を語るときに、
孔子の言葉を用います。

四十にして惑わず。
五十にして天命を知る。

この、
天命を知るという言葉の意味を、
調べてみると、
「自分自身にとって、一番大切なものは何か、
   そして、自分が果たすべき役割について気づく」
ということなのだそうです。
自分の運命を知る、くらいの意味と思っていたのですが、
もっともっとポジティブな意味でした。

この一年で、、
様々な方面で活躍している先輩や同級生、
医会でおつきあいしている開業医の先輩からたくさんのアドバイスをいただき、
長く関わっている患者さんたちからも励ましをいただき、
ボクの気持ちは少しずつ変化していきました。

そして、
ボクの人生の最大の先輩である、
今も現役の産婦人科医である、
父の姿を、
もう一度、子として、後輩の産婦人科医として、
冷静に見たとき、
最終的な決心をすることができました。
全速力で走ることよりも、
いつまでも走り続けることの方が大切だと思えました。

これまでお世話になった多くのみなさんに感謝も気持ちでいっぱいです。
そして、
突然(ボクの中では突然ではなかったのですが)、
退職することで、
多くの仲間にご迷惑をおかけして
申し訳ありません。
ボクをいつも指導して下さった上司の先生にも、
十分な恩返しができてないので
申し訳なく思っています。

これからも、
自分のできることで、
みなさんに少しずつでも恩返しをしたいと思います。

開業は不安なことも多いですが、
やるときめたら、
楽しみなことも多いです。

ひとりだけではとうていやっていけないので、
いろんな人のお世話になります。

どうぞよろしくお願いします。

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白衣の意味 [産婦人科医]

うちの病院は、研修指定病院です。
2年間の初期研修中のドクターが一人ずつですが、
1ヶ月交代で産婦人科にローテーションでやってきます。

産婦人科に来る研修医は、ほとんどが2年目の研修医で、
そこそこの仕事ができます。
産婦人科に研修に来るころには、
内科や外科など、
みな自分が将来、何を専門にするかが決まっています。
逆に、2年目にまだ、自分の専門が決まっていないことの方が珍しいということです。

それでも、若い研修医の先生たちが、
てきぱき働く姿を見て、
 「〇〇先生、完璧ですね。産婦人科に入らないともったいないですよ。」
などと、あからさまに勧誘するのです。

研修の先生たちも、
自分の夢や希望をもって、将来の進路を決めているわけだし、
いまさら、ちょっと褒められたり、煽てられたりして、
急に産婦人科医になるとは思えません。
ほかの診療科の医師になるとしても、
産婦人科の特殊性を理解してもらうことの方が大切だと思います。

そんな中で、
つい先日も、一人の研修医が産婦人科の研修にきました。
一見して、おとなしい印象の研修医でした。
彼は、白の上下(つまり、白衣ですね)に
白のスニーカーで、清潔感を感じました。

当たり前のように思うのですが、
最近の若い先生は、
あまり白衣を着ません。
スクラブ、といういわゆる手術着が多いのです。
スクラブは、多くが自前なので、紺色だったり、黒だったり、
中には、ピンクやオレンジを着ている人もいます。
機能的でもあるので、
うちの病院でも、
支給される白衣の中に、このスクラブを選択できるようにする動きもあります。

そして、その上に、長い白衣(コート、といいます)を羽織っていることもあります。
でも、前のボタンは絶対かけません。
ボタンをかけると、かっこ悪いからです。

ボクは、
上下白い診察着をきている、この先生に、
すがすがしさを感じる一方で、
若いのに、どうして、みんなみたいに、
スクラブを着ないのか、異和感も感じました。

 「先生は、なんでスクラブじゃなくて、白衣なんですか?」
って、ストレートに聞いてみました。
すると、にっこり笑いながら、
「まだ勉強中ですから。」
いろいろ、勉強させていただいている身ですから、
患者さんに対しての礼儀なんです、と彼は続けました。

若いのに、立派な気持ちだと感銘を受けました。
彼は、研修医であり、しっかり勉強することは当然として、
患者さんに、勉強させていただいているという感謝と謙虚さを持っています。
そして、その気持ちを上下の白衣で礼儀を現わしています。

かれは、きっと立派な医師として、
医療者からも、患者さんからも、信頼され、尊敬されるでしょう。

ちなみに、かつて、
一生ついて行こうと、ボクが敬愛している、小児科のS先生の話を
このブログで書いたことがあります。

この先生も、常に上下の白衣でした。
なにかのときに、スピーチをされていたことを思い出しました。
S先生は、四国の出身で、
小さいときから、四国八十八カ所を巡る、お遍路さんを身近にみて育ちました。
お遍路さんは、白い服を着て、歩き続けます。
その巡礼をする姿と、医療の道を究めようと、修行を重ねる自分の姿を重ね合わせて、
自分が白衣を着ていることの意味を教えてくれたことがあります。

医師が、白衣を着る意味は、
それぞれかも知れません。

ただ、ボクは、
この若い先生が、この先も、
きっと、どんなに経験を積んでも、偉くなって、多くの後輩を指導する立場になったとしても、
きっと、白衣を着続けていると信じています。

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残りの人生でしておかなければならないこと [産婦人科医]

高校の国語の授業のときのことです。
先生が、なにかの話の流れで
こういいました。

「君たち、雪の金閣寺をみたことがあるか?」

ボクたちの多くは、首を横に振っていました。
先生が続けます。

「あの美しさは、人生で、死ぬまでに、一度は観ておかないといけない。」

ボクたちは、その言葉を静かに聞いていました。
それから30年以上が経過して、
高校生、大学生、と機会があるたびに
金閣寺を訪れましたが、
夏だったり、秋だったり、
雪が降っていることはありませんでした。
金閣寺を訪れるたびに、
あの国語の先生を思い出し、
 「今度くるときは、雪が降ってるかな?」
と思っていました。

今年の正月は雪が積もっていたので、
初詣での帰りに、少し足を伸ばして、金閣寺に向かいました。
でも、考えることはみな同じなのか、
駐車場に入るだけで何百メートルも大渋滞していました。
なかなか縁がないものだなと感じて、
Uターンして帰ってきました。
あの国語の先生に申し訳ない気持ちでした。

そして、今朝、
朝起きたら、また、雪が降っていました。
今年の京都はよく、雪が降ります。
20センチくらいの積雪でした。
朝ご飯を食べたあと、
突然、明るい陽がさしてきました。

 「こんな日の金閣寺を観とかないと。」

思い立って、すぐに準備を始めました。
家族はみな、まだ寝ています。
帽子をかぶって、長靴はいて、ひとりで出かけました。

さすが世界文化遺産だけあります。
すごい人でした。
ざわざわと人ごみの向こうに、
雪を冠った金閣は、
静かに、凛として、佇んでいました。

あの先生が言った、この金閣の美しさは何だろう。
今日、感じたことと、その意味を考えてみました。

高校生や大学生の時に観ていたとしたら、
今日の、この金閣の美しさは、
きっと、違っていたかも知れません。

30年以上、ずっとやり残していた宿題を、
やっと提出できるようなほっとした気持ちにもなりました。

そして、
この年齢になった、ボクは、
雪の金閣を眺めながら、
自分の残りの人生でしておかなければならないことって
何だろう、と考えました。

まだまだたくさんの、しなければならないことがあって、
追いつめられるような気持ちになることもあります。

これからのボクが、
できることなんて、そんなに多くありません。
それでも、
できることから、少しずつしていこうと思いました。

kinkakuji.jpg

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病院の先生はみんな優しかった [妊娠]

うちの病院では、周産期カンファレンスとして、
産婦人科医と小児科医、助産師、NICUのナース、
そして、ケースワーカーが
毎週カンファレンスをおこなっています。
そこでは、
それぞれが担当しているハイリスクの妊婦さんをプレゼンしたり、
助産師さんが、それぞれ外来で面接して、その産婦さんの家族背景や心配事を聞くなかで、
問題がありそうな産婦さんについて報告したりしています。
実際、分娩はいつおこるか予想できないので、
早い週数から、いろんな情報を共有しておくことが大切です。
リスクは、医学的なものだけに限らず、
社会的なリスクについてにも目を向けています。

そんな中で、「有名人」の妊婦さんがいました。

年齢こそ、そこそこ重ねているのですが、
いわゆる、今時の若者です。

ほとんど、自分のペースでしか妊婦健診を受けません。
予約をとっても平気でキャンセル。
お腹が痛いと、突然、救急受診してきます。
「一応」外来担当医はいるのですが、
実際には、ほとんどその先生の曜日には来ません。

ある夜、「破水したかも?」って電話がありました。
妊娠8ヶ月目だったので、当直の先生が、
すぐに受診するように指示したにも関わらず、
来院したのは明け方。
どうやら友達と遊びに行っていたそうです。
結局は大丈夫でしたが、
その夜の当直の先生もキレそうになったそうです。

陣痛が始まると、
連絡がくるのは、なぜか「友達」経由でした。
本人でもなく、お母さんでもありません。
強いのか、弱いのか、破水はないか、
さすがに、友達経由では陣痛の様子もわからないので、
連絡をうけた助産師さんも困っていました。
そもそも、こちらからこの産婦さんに電話をかけても、
着信拒否なのか、全くつながりません。

 「痛くなったら、自分から来るやろ。」
当直だったボクは、友達の名前と連絡先くらいは聞いておくようにと、
助産師さんに指示しました。

日曜日の当直でした。
朝の「陣痛開始」の噂から半日がたち、日付が変わる前に、
いよいよ陣痛が強くなり、彼女は登場(入院)しました。
その「有名人」の産婦さんとボクは初対面でした。

たしかに今時のお嬢さんですが、
ボクが想像していたより、落ちついているようにも見えました。

日付が変わって、
明け方にお産にありました。

お産が終わって、処置をしながら、
しばらくトークタイムです。

 「なんで、陣痛がはじまったときに、電話してきたのが友達やったんですか?」
「痛くなってきて、友達にメールしたら、『そんなんほっといたらアカンやろ。私が連絡してあげる。』って、友達が病院に電話してくれたんです。」
 「えらいやさしい友達やね。」(京都風のイヤミです)
「そうなんです。あの子も、ここ(うちの病院)で産んでいて、『まかせとき!』って、電話してくれたんです。」
 「状況がつかめないから、助産師さんが困ってたんですよ。今度からは、自分でちゃんと電話してきてね。」
みんなが困っていたと伝えました。
最後に、妊婦健診がとびとびになっていたことについて、
いろんな事情はあったかもしれないけれど、
けっして褒められたものではなかった、と諭しました。

みんなが、あなたのことを心配していたので、
おかげで、今日、あなたとは初対面の気がしない、と付け加えました。

処置が終わって、お疲れさまと声をかけたとき、

「この病院の先生、みんな優しかったぁ。」
 「そう思ってくれるんやったら、今度もし、妊娠することがあったら、ちゃんと約束を守ってくださいね。」
さすがのボクも、当直の明け方のせいか、しんどくなりました。
ボクたち、スタッフが優しかったのは、
決して、この産婦さんに対してではありません。
みんな、お腹の赤ちゃんのことを一番に心配していたんです。

受診態度が悪い、と叱りつけでもして、
それが原因で、もっと病院に来なくなったら、もっと困る、と
思っていただけなんです。
陣痛がきて、自分で電話しないことで、
なにか不都合なことが起きても、
こちらから連絡がつかない状況で、
病院の外で起こったことは、
ある意味、自己責任なんです。

でも、どんなときも、
一番つらい思いをするのは、
一番弱い立場のものです。

この産婦さんが感じた、友達やボクたち病院スタッフの優しさの意味を
育児を通し、いろんなことを経験して、
少しずつでも理解して欲しいと願うばかりです。

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サンタクロースがやってきてた [産婦人科医]

またクリスマスの季節がやってきました。
8年前のこの季節、
ボクはこのブログを始めました。

世の中の、すべての子供たちにサンタはやってきます。
そして、サンタがやってきた証しをみて、
子供たちは、最高の笑顔を大人たちにプレゼントしてくれます。
毎年のように思うのですが、
クリスマスの醍醐味は、子供たちの笑顔です。

妊婦健診で、
もうすぐお産になる経産婦さんたちに、
「サンタさんの準備はできてますか?」
って聞いてみました。

「今日、この健診のあとに、行ってきます。おばあちゃんにみてもらっているので。」

もし、お母さんが、お産で入院しているときに、サンタが来たら、
お母さんのアリバイが成立するわけね。
サンタさんを迎えるのに、親たちはなにかと気を遣うようです。

うちの息子にも、
今朝、サンタさんが来ました。
前の日から、緊張して、なかなか眠れないというので、
一緒に寝てあげることにしました。

そしたら、ほんとに、
朝5時頃目が覚めたら、
息子の枕元に、プレゼントが来ていました。
当直明けで、爆睡していたせいでしょうか、
まったく気づきませんでした。

 「サンタさん、やっぱり、すごい。」
感心しました。

起きて、サンタのプレゼントに気づいた息子は、
「お願いしていたものと、違う。」
と、しょんぼりしてました。

息子の満面の笑顔を期待していたんだけど、
世の中、そんなにうまくいきません。
先週、発売されたばかりの超大人気ゲームソフトなんて、
おもちゃ屋さんでも売り切れなのに、
サンタさんがそんなに調子よくくれる訳ないじゃん。

 「がっかりするのは、君が少しずつ大人に近づいているせいやろ?」
「そんなんやったら、大人になんかなりたくないわ。」
 「わはは。」

来年、クリスマスの魔法から、息子は覚めてしまってるかも知れないけれど、
そしたら、
ボクが、サンタになるからね。

それまでは、一緒に、
夢を見ていこうな。

世界中の、
すべての子どもたちに、
メリークリスマス!!

今まで出会った、小さな命、大切な命、
すべての新しい命に、
そして、そのお父さん、お母さん、
ご家族に、最高の笑顔を!


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新たな一歩 [産婦人科医]

かつて、
「10月に思うこと」
というタイトルで、記事を書いたことがあります。
あれから、すでに6年の歳月が過ぎています。

この10月も、
(10月だけじゃなくて、ずっとですが)
本当にたくさんの出来事があり、
そして、
ひとつひとつを、ボクの記憶の引き出しに入れていくんだと思います。
引き出しは、折に触れて、用事があった時に、
そして、用事がなくても、
開けないといけません。
そっと、取り出して、
中身を確かめるのです。

毎年、10月は、ボクにとって
自分を振り返る時でもあります。

昨日、周産期専門医試験を受験しました。
医師になって20年以上が経過し、
学会の暫定指導医になり、
7年間が過ぎました。
学会の暫定措置が終了するため、
専門医を受験することになりました。

試験に先立って、小論文の提出があり、
口頭試問では、
産科、小児科から1名ずつの面接官が
経験症例と、この小論文に関して
質問があります。

試験で小論文を書いたのは、
恥ずかしながら初めての経験でした。
これだけ、
ちまちまとブログを続けているのに。

いくつかの文献を引っ張り出して、
優等生的な内容を書こうと思いましたが、
うまくかけませんでした。
結局、自分の経験に基づいて、
感じたままに思いを書きました。

産科と小児科のそれぞれの先生から、
症例に関する質問がおわり、
小児科の先生が、続けます。

 「つぎに、小論文について伺います。」
と、姿勢を正すような感じでした

 「いやぁ、貴重な、われわれ小児科医からみても、本当に、貴重な経験をされましたね。」
「はい。」
 「先生の書かれているとおりだと思います。」

和やかな、雰囲気の中で、
産科医として、なによりも「母体の安全を最優先させる」というスタンスを、
決して見失うべきではないと述べました。

口頭試問の時間を1分くらいオーバーしたのに、
最後まで聞いていただいて、
面接官の先生には感謝します。

今回の試験で、
これからも、
小さな命と、お母さんや家族のために、
頑張っていくんだという意思を、
自分で確認できたように思います。

この病院に来て、
10月1日で、丸3年が経ちました。

これまでに出会った、新しい命、小さな命も、悲しかった命も、
すべてを決して忘れません。

一つのけじめがついて、
また、
一歩、一歩、前に進んでいきます。

頑張ります。

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女心 [産婦人科医]

毎日、たくさんの患者さんを診察しますが、
長い付き合いの患者さんが何人かいます。

前の病院にいたころからずっと診ている患者さんたちですが、
お産をする患者さんは、10年以上に渡って生み続けるひとはそういませんし、
更年期症状の患者さんたちは、そのうち症状が治まるので
骨粗鬆症など継続して診察する必要がない限り、
ひとり、またひとりとボクの外来を卒業していきます。

10年以上続くのは、多くはボクが手術を担当した患者さんです。
子宮筋腫核出や卵巣腫瘍核出などの術後で、
再発をしていないか、定期的に診察する必要があります。

そんな中で、前の病院の前任者から引き継いで、
今も診察している方がおられます。
前の病院から15年くらい通院されていて、
子宮内膜症の方です。

ボクが引き継いだときには、
すでに術後2年ほど経過していました。
かなり進行した子宮内膜症と子宮筋腫で、月経困難症を伴っています。
1回目の手術で、癒着がきつく、術後に感染を起こし、再手術になっています。
術後しばらくはよかったのですが、徐々にまた子宮内膜症の症状が強くなってきました。
月経時には、飲み薬の鎮痛剤では効かなくなり、毎月、座薬を何個も使うようになりました。
チョコレート嚢腫が破裂して、救急車で運ばれてきたこともありました。
再手術を考えましたが、

「できたら、手術はしたくないです。」

いわゆる、深部子宮内膜症で、1回目の手術よりも条件は悪く、おそらく、
子宮のみならず卵巣まで摘出しないといけなくなる可能性もあります。
そういう患者さんの言葉に、ボク自身、すこしほっとした気持ちにもなりました。

ホルモン療法を周期的に行い、保存的に治療を継続しました。
そのうち、ジエノゲストという、子宮内膜症によく効く薬が発売されて、
この方の症状もかなりコントロールできるようになりました。

3ヶ月ごとの診察をしていくうち、この数年は症状も軽くなっていきました。

今は、ほとんど鎮痛剤を使用しなくてもよくなり、
月経も年に数回になりました。

 「一度、女性ホルモンを調べてみましょう。」

今年の春頃に、月経が半年ほどなかったので採血をしました。
3ヶ月後、受診されたときに、そのときに測った女性ホルモンなどの検査結果を説明しました。
卵巣を刺激するLHやFSHといった下垂体ホルモンは、卵巣機能の目安になります。
結果は、すでに閉経を示すものでした。

 「その後、月経はありましたか?」
「いいえ。お腹も痛くなくて、調子いいです。」
 「こないだの検査結果ですが、閉経したみたいです。」
「‥‥。」

 「長くかかりましたが、たぶんこれで、子宮内膜症の治療は卒業です。」
「‥‥。」

患者さんは、言葉なく、顔を見ると、
目から涙がぽろぽろとこぼれています。
なんと声をかけてよいのか、わからなかったのですが、
今まで、痛みに耐えてきて、
やっとこの日がきた、そういう気持ちなのかと思いました。

 「お疲れさまでした。」
 「今まで、ずっと頑張ってきたし、ほっとしましたか?」

すると、この方は、涙を拭きながら、顔を横に振り、
やっと口を開いてくれました。

「なんだか、寂しくて。」

痛いのは、自分が女性だからと思って頑張ってきたのだと思います。
自分が女性であるということを、月経のたびごとに感じておられたのかもしれません。

子宮内膜症は閉経することで治療が終わるのが一般的ですが、
それは、単に医療者が一方的に思うことで、
閉経を迎えるということは、
一人の女性にとって、そんな簡単なものではありませんでした。

その後、子宮内膜症の研究会に参加しました。
たくさん内膜症の手術をされている先生に、懇親会でこの話をしました。
そしたら、その先生は笑いながら、こう答えてくれました。

「それこそが、女心ですよ。」
「深いんです。」
 「たしかに、深いですね。」

多くの先生が順番に挨拶にこられるのでそれだけの会話になりましたが、
きっといろんな話がまだまだありそうでした。
まだまだ、産婦人科医としての修行は続きます。

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さよならが言えなかった [産婦人科医]

ボクには同い年のいとこがいて、彼は先天性脳性麻痺でした。
母から聞いたところによると、生まれたときにへその緒が何重にも巻き付いていたのだそうです。
今から考えると、知的障害があって、運動機能障害は軽度でした。
幼い頃は近くに住んでいたので、よく一緒に遊んでいました。
でも、いつ走り出すかわからないので、いつもぎゅっと手を握っておかないといけませんでした。
名前を呼んでくれたことはありましたが、ちゃんとした会話をした記憶はありません。
伯父さんや伯母さん、いとこのお兄ちゃんやお姉ちゃんも、いつも彼の手を握って、歩いていました。
地元の小学校では、養護学級に入っていたので授業は別々でしたが、
同じクラスでした。
4年生の遠足では、伯父や伯母、いとこがいない場所で、
先生と交代で、彼の手を握って歩いたのを覚えています。

何かの用事を親に頼まれて、伯父の家に行ったとき、
伯父はちょうど、庭の花壇に球根を植えていました。
ネコがいたずらしないように、割り箸を一緒に土に刺していました。
それがおもしろくて、後ろから見せてもらっていたとき、
伯父がボクの顔を見ることもなく、
「なぁ、haru、おっちゃんが死んだ後、あの子のこと頼むで。」
いとこのお兄ちゃんもお姉ちゃんもいるのになんでやろ?と
思いながらも、
 「うん、わかった。」
と、返事をしました。
何故かわかりませんでしたが、胸がギュッとなったのを覚えています。

その後、ボクは私学の中学に通うようになり、
彼とはほとんど会わなくなりました。
中学を卒業すると、養護施設に入り、
年に数回しか家に帰らなくなりました。
祖母や伯父が亡くなったときも、
彼と会うことはありませんでした。

先日、当直明けの土曜日の夕方、
実家の母から電話がありました。
いとこが亡くなった、というのです。
この数年は、病気がちで少しずつ弱っていたそうなのですが、
亡くなったのは3日前のことで、その日の昼に、お葬式があって、
ボクの名前で、お花も供えておいたし、
骨も拾ってきたから心配しなくてもいいよ、というのです。

突然のことなので、言葉になりませんでしたが、
昔、花壇の横でした、伯父との約束を思い出しました。

「なぁ、haru、おっちゃんが死んだ後、あの子のこと頼むで。」

伯父とボクは、確かにそう約束したのに、
ボクは、まだ何にもしていません。

 「なんでいうてくれなかったん?お葬式、行けたで。」

母にそういうと、
「忙しいのに、わざわざ帰ってこなくてもいいの。」
「全部、済んだから、大丈夫。」
と繰り返しています。
伯母は、ボクの母とほぼ同い年なので、すでに80才前後でしょう。
「これで、やっと安心して死ねる。」
と母に語ったそうです。

幼い頃から、母は、ボクといとこが一緒にいると、
伯母に気を遣っていたことも思い出しました。
テストでいい点をとったことを伯母たちがいる前で
自慢したとき、要らんこと言わんでもいい、と
叱られたこともありました。

ボクがいとこのお葬式に行き、伯母に会うことを、
母は避けたかったのかもしれません。
50年来の、母と伯母の関係がそこに存在していたのでしょう。

でも、ボクは、
もう一度、いとこに会いたかった。
手を握って、仲良く歩いた遠足を二人で思い出したかった。
そして、
ボクが伯父と大切な約束をしたのに、
なんにもしてあげることができなかったことを
謝りたかった。

ボクが彼に、
さよならが言えなかったのは、寂しかったけど、
一番、寂しかったのは、
ボクじゃないと思います。

今、ボクには、
産婦人科医として
しなくてはいけないことがたくさんあり、
もしかすると、
それこそが、
昔、伯父とした、
約束なのかもしれないと思いました。

天国で、
お酒が好きで、いつも陽気な伯父は、
いとこの手をぎゅっと握りながら、
いい気分でお酒を飲んでいるように思います。

「haruに頼んでおいたから、大丈夫や。」

さよならが言えなかったのは、
ボクにとって、
伯父との約束がまだ続いているからなのかも知れません。

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笑顔の約束 [妊娠]

年末のせわしない毎日が続いています。
11月に続き、12月は、忙しかった。
そして、つらかった。

言葉にできないくらい。

毎年、クリスマスの時期には、ボクはこのブログでも、
元気に生まれてきた赤ちゃんたち、
そして、
悲しくも、生きて生まれてくることができなかった赤ちゃんたちに、
同じように、サンタクロースからのプレゼントが届くように
祈っています。

サンタクロースのプレゼントは、
ボクたち大人が、子どもたちの希望と幸せを祈り、
そのお返しに、すてきな笑顔を見せてもらえるという
ご褒美でもあります。

そして、ブログでは書く時間がありませんでしたが、
今年も、祈りました。

そんな中で、忙しく、外来で健診をしている妊婦さんたちのなかに、
一人の妊婦さんがいます。

5年前、前の病院にいた頃、
妊娠23週で救急搬送になりました。
病院に到着したときには
赤ちゃんの体が子宮から出かかっており、
逆子でした。
そのまま経腟分娩になり、小児科の先生の懸命な蘇生にかかわらず、
500グラムほどの小さな赤ちゃんは、まもなく亡くなりました。

この方の悲しみはとても深く、
睡眠障害や気分不安定が続きました。
ボクは、お産の後も、
月に1、2回、自分の外来に来てもらい、
抗不安薬なども使いながら
診ていきました。

半年ほどが経ったとき、
「もう大丈夫です。」と、言ってくれました。
次の予約はいりません、と。
何かを決心したかのようにも見える深いまなざしでした。

そして、まもなく、妊娠して、またボクの外来に診察に来てくれました。
次の妊娠は、予防的な子宮頸管縫縮を行ったにもかかわらず、妊娠34週で破水、早産になりました。もちろん、赤ちゃんは元気で、無事に育っています。
無事にお産を終えることができて、ボクは少しでもこの方のかつての悲しみを癒すことができたかもしれませんが、それでも、亡くなった赤ちゃんを忘れることはできません。

その後、2年近くして、今の病院に移り、再びボクの外来に来られました。
妊娠を希望されての受診です。
もともと月経不順のあったので、軽い排卵誘発ですぐに妊娠することができました。

今回の妊娠でも、やはり子宮頸管縫縮術を行いました。
最近は予防的頸管縫縮術以外にも黄体ホルモン製剤投与が選択されることもあるのですが、2回目の妊娠で何とかうまくいったので、方法を変えたくありませんでした。
手術のあと、小さな出来事もそれなりにあって、
なかなか順風満帆とはいきませんが、
今もなんとか妊娠週数を重ねることができています。
胎児も順調に育ってくれています。

しかしながら、
妊娠に関して不安が拭いきれないこの方は
笑顔を見せてくれることはほとんどありません。
当然だと思います。

診察をする度に、
ボクは最初のお産を思い出します。
診察が終わって、お話をする時も、
やはり、最初のお産を思い出すのです。

ボクは、この方を診て、
「いつも不安そうで、笑顔を見せてくれない」
と感じていました。

少しずつ週数が進んでいき、
そろそろ、もし早産になっても赤ちゃんが
無事に育ってくれる週数に入り出した頃、
たまに、にっこりしてくれる瞬間が出てきました。

 「笑顔や」
ボクは、一瞬の笑顔を見つけて、
ほっとするのですが、しかし、その次の瞬間、
ボクの顔をじっと見て、
また不安そうな顔に戻ります。

この方が心から微笑む瞬間を
ボクは見ることができるのだろうか?

この方が微笑まないのは当然でしょう。
最初のお産があまりにも悲しいからです。

しかし、
それだけではないと思うようになりました。

ボク自身が原因なんだろうと気付いたのです。

自分では気付かなかったのですが、
ボクはこの方を診察するとき、
きっと、ものすごく恐い顔をしているのではないかと思うのです。

最初の赤ちゃんを忘れまいという気持ち、
今の赤ちゃんをなんとか無事に持たせたいという思い、
この方の今までの経過の中で、
自分の力が及ばなかったことに対する申し訳なさなど、
ボクの様々な想いが、
きっと自分では気付かないうちに、
「恐い顔」になっているのではないかと自覚するようになりました。

笑顔を見せてくれていないのは、
この方ではなくて、
ボク自身だと思います。

患者と主治医という、長い付き合いの中で、
きっと、この方は、
ボクの一番恐い顔を見ているのです。

あのときの、
ボクの一番恐い顔をまた見るのではないか、
という不安と戦っているといいのかもしれません。

そう思うようになると、
本当に申し訳ない気持ちになります。

あと少し、
もう少し頑張りましょう。

そして、きっとボクは、
あなたににっこりと微笑むことができるはずです。

決して忘れることのできない赤ちゃんを想いつつ、
新しい命の誕生を迎えたいと思います。

メリークリスマス!

すべての子供たち、
そして、その子供たちを愛する人たちに、
愛に満ちあふれた、最高の笑顔を!
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