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サンタクロースがやってきてた [産婦人科医]

またクリスマスの季節がやってきました。
8年前のこの季節、
ボクはこのブログを始めました。

世の中の、すべての子供たちにサンタはやってきます。
そして、サンタがやってきた証しをみて、
子供たちは、最高の笑顔を大人たちにプレゼントしてくれます。
毎年のように思うのですが、
クリスマスの醍醐味は、子供たちの笑顔です。

妊婦健診で、
もうすぐお産になる経産婦さんたちに、
「サンタさんの準備はできてますか?」
って聞いてみました。

「今日、この健診のあとに、行ってきます。おばあちゃんにみてもらっているので。」

もし、お母さんが、お産で入院しているときに、サンタが来たら、
お母さんのアリバイが成立するわけね。
サンタさんを迎えるのに、親たちはなにかと気を遣うようです。

うちの息子にも、
今朝、サンタさんが来ました。
前の日から、緊張して、なかなか眠れないというので、
一緒に寝てあげることにしました。

そしたら、ほんとに、
朝5時頃目が覚めたら、
息子の枕元に、プレゼントが来ていました。
当直明けで、爆睡していたせいでしょうか、
まったく気づきませんでした。

 「サンタさん、やっぱり、すごい。」
感心しました。

起きて、サンタのプレゼントに気づいた息子は、
「お願いしていたものと、違う。」
と、しょんぼりしてました。

息子の満面の笑顔を期待していたんだけど、
世の中、そんなにうまくいきません。
先週、発売されたばかりの超大人気ゲームソフトなんて、
おもちゃ屋さんでも売り切れなのに、
サンタさんがそんなに調子よくくれる訳ないじゃん。

 「がっかりするのは、君が少しずつ大人に近づいているせいやろ?」
「そんなんやったら、大人になんかなりたくないわ。」
 「わはは。」

来年、クリスマスの魔法から、息子は覚めてしまってるかも知れないけれど、
そしたら、
ボクが、サンタになるからね。

それまでは、一緒に、
夢を見ていこうな。

世界中の、
すべての子どもたちに、
メリークリスマス!!

今まで出会った、小さな命、大切な命、
すべての新しい命に、
そして、そのお父さん、お母さん、
ご家族に、最高の笑顔を!


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新たな一歩 [産婦人科医]

かつて、
「10月に思うこと」
というタイトルで、記事を書いたことがあります。
あれから、すでに6年の歳月が過ぎています。

この10月も、
(10月だけじゃなくて、ずっとですが)
本当にたくさんの出来事があり、
そして、
ひとつひとつを、ボクの記憶の引き出しに入れていくんだと思います。
引き出しは、折に触れて、用事があった時に、
そして、用事がなくても、
開けないといけません。
そっと、取り出して、
中身を確かめるのです。

毎年、10月は、ボクにとって
自分を振り返る時でもあります。

昨日、周産期専門医試験を受験しました。
医師になって20年以上が経過し、
学会の暫定指導医になり、
7年間が過ぎました。
学会の暫定措置が終了するため、
専門医を受験することになりました。

試験に先立って、小論文の提出があり、
口頭試問では、
産科、小児科から1名ずつの面接官が
経験症例と、この小論文に関して
質問があります。

試験で小論文を書いたのは、
恥ずかしながら初めての経験でした。
これだけ、
ちまちまとブログを続けているのに。

いくつかの文献を引っ張り出して、
優等生的な内容を書こうと思いましたが、
うまくかけませんでした。
結局、自分の経験に基づいて、
感じたままに思いを書きました。

産科と小児科のそれぞれの先生から、
症例に関する質問がおわり、
小児科の先生が、続けます。

 「つぎに、小論文について伺います。」
と、姿勢を正すような感じでした

 「いやぁ、貴重な、われわれ小児科医からみても、本当に、貴重な経験をされましたね。」
「はい。」
 「先生の書かれているとおりだと思います。」

和やかな、雰囲気の中で、
産科医として、なによりも「母体の安全を最優先させる」というスタンスを、
決して見失うべきではないと述べました。

口頭試問の時間を1分くらいオーバーしたのに、
最後まで聞いていただいて、
面接官の先生には感謝します。

今回の試験で、
これからも、
小さな命と、お母さんや家族のために、
頑張っていくんだという意思を、
自分で確認できたように思います。

この病院に来て、
10月1日で、丸3年が経ちました。

これまでに出会った、新しい命、小さな命も、悲しかった命も、
すべてを決して忘れません。

一つのけじめがついて、
また、
一歩、一歩、前に進んでいきます。

頑張ります。

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女心 [産婦人科医]

毎日、たくさんの患者さんを診察しますが、
長い付き合いの患者さんが何人かいます。

前の病院にいたころからずっと診ている患者さんたちですが、
お産をする患者さんは、10年以上に渡って生み続けるひとはそういませんし、
更年期症状の患者さんたちは、そのうち症状が治まるので
骨粗鬆症など継続して診察する必要がない限り、
ひとり、またひとりとボクの外来を卒業していきます。

10年以上続くのは、多くはボクが手術を担当した患者さんです。
子宮筋腫核出や卵巣腫瘍核出などの術後で、
再発をしていないか、定期的に診察する必要があります。

そんな中で、前の病院の前任者から引き継いで、
今も診察している方がおられます。
前の病院から15年くらい通院されていて、
子宮内膜症の方です。

ボクが引き継いだときには、
すでに術後2年ほど経過していました。
かなり進行した子宮内膜症と子宮筋腫で、月経困難症を伴っています。
1回目の手術で、癒着がきつく、術後に感染を起こし、再手術になっています。
術後しばらくはよかったのですが、徐々にまた子宮内膜症の症状が強くなってきました。
月経時には、飲み薬の鎮痛剤では効かなくなり、毎月、座薬を何個も使うようになりました。
チョコレート嚢腫が破裂して、救急車で運ばれてきたこともありました。
再手術を考えましたが、

「できたら、手術はしたくないです。」

いわゆる、深部子宮内膜症で、1回目の手術よりも条件は悪く、おそらく、
子宮のみならず卵巣まで摘出しないといけなくなる可能性もあります。
そういう患者さんの言葉に、ボク自身、すこしほっとした気持ちにもなりました。

ホルモン療法を周期的に行い、保存的に治療を継続しました。
そのうち、ジエノゲストという、子宮内膜症によく効く薬が発売されて、
この方の症状もかなりコントロールできるようになりました。

3ヶ月ごとの診察をしていくうち、この数年は症状も軽くなっていきました。

今は、ほとんど鎮痛剤を使用しなくてもよくなり、
月経も年に数回になりました。

 「一度、女性ホルモンを調べてみましょう。」

今年の春頃に、月経が半年ほどなかったので採血をしました。
3ヶ月後、受診されたときに、そのときに測った女性ホルモンなどの検査結果を説明しました。
卵巣を刺激するLHやFSHといった下垂体ホルモンは、卵巣機能の目安になります。
結果は、すでに閉経を示すものでした。

 「その後、月経はありましたか?」
「いいえ。お腹も痛くなくて、調子いいです。」
 「こないだの検査結果ですが、閉経したみたいです。」
「‥‥。」

 「長くかかりましたが、たぶんこれで、子宮内膜症の治療は卒業です。」
「‥‥。」

患者さんは、言葉なく、顔を見ると、
目から涙がぽろぽろとこぼれています。
なんと声をかけてよいのか、わからなかったのですが、
今まで、痛みに耐えてきて、
やっとこの日がきた、そういう気持ちなのかと思いました。

 「お疲れさまでした。」
 「今まで、ずっと頑張ってきたし、ほっとしましたか?」

すると、この方は、涙を拭きながら、顔を横に振り、
やっと口を開いてくれました。

「なんだか、寂しくて。」

痛いのは、自分が女性だからと思って頑張ってきたのだと思います。
自分が女性であるということを、月経のたびごとに感じておられたのかもしれません。

子宮内膜症は閉経することで治療が終わるのが一般的ですが、
それは、単に医療者が一方的に思うことで、
閉経を迎えるということは、
一人の女性にとって、そんな簡単なものではありませんでした。

その後、子宮内膜症の研究会に参加しました。
たくさん内膜症の手術をされている先生に、懇親会でこの話をしました。
そしたら、その先生は笑いながら、こう答えてくれました。

「それこそが、女心ですよ。」
「深いんです。」
 「たしかに、深いですね。」

多くの先生が順番に挨拶にこられるのでそれだけの会話になりましたが、
きっといろんな話がまだまだありそうでした。
まだまだ、産婦人科医としての修行は続きます。

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さよならが言えなかった [産婦人科医]

ボクには同い年のいとこがいて、彼は先天性脳性麻痺でした。
母から聞いたところによると、生まれたときにへその緒が何重にも巻き付いていたのだそうです。
今から考えると、知的障害があって、運動機能障害は軽度でした。
幼い頃は近くに住んでいたので、よく一緒に遊んでいました。
でも、いつ走り出すかわからないので、いつもぎゅっと手を握っておかないといけませんでした。
名前を呼んでくれたことはありましたが、ちゃんとした会話をした記憶はありません。
伯父さんや伯母さん、いとこのお兄ちゃんやお姉ちゃんも、いつも彼の手を握って、歩いていました。
地元の小学校では、養護学級に入っていたので授業は別々でしたが、
同じクラスでした。
4年生の遠足では、伯父や伯母、いとこがいない場所で、
先生と交代で、彼の手を握って歩いたのを覚えています。

何かの用事を親に頼まれて、伯父の家に行ったとき、
伯父はちょうど、庭の花壇に球根を植えていました。
ネコがいたずらしないように、割り箸を一緒に土に刺していました。
それがおもしろくて、後ろから見せてもらっていたとき、
伯父がボクの顔を見ることもなく、
「なぁ、haru、おっちゃんが死んだ後、あの子のこと頼むで。」
いとこのお兄ちゃんもお姉ちゃんもいるのになんでやろ?と
思いながらも、
 「うん、わかった。」
と、返事をしました。
何故かわかりませんでしたが、胸がギュッとなったのを覚えています。

その後、ボクは私学の中学に通うようになり、
彼とはほとんど会わなくなりました。
中学を卒業すると、養護施設に入り、
年に数回しか家に帰らなくなりました。
祖母や伯父が亡くなったときも、
彼と会うことはありませんでした。

先日、当直明けの土曜日の夕方、
実家の母から電話がありました。
いとこが亡くなった、というのです。
この数年は、病気がちで少しずつ弱っていたそうなのですが、
亡くなったのは3日前のことで、その日の昼に、お葬式があって、
ボクの名前で、お花も供えておいたし、
骨も拾ってきたから心配しなくてもいいよ、というのです。

突然のことなので、言葉になりませんでしたが、
昔、花壇の横でした、伯父との約束を思い出しました。

「なぁ、haru、おっちゃんが死んだ後、あの子のこと頼むで。」

伯父とボクは、確かにそう約束したのに、
ボクは、まだ何にもしていません。

 「なんでいうてくれなかったん?お葬式、行けたで。」

母にそういうと、
「忙しいのに、わざわざ帰ってこなくてもいいの。」
「全部、済んだから、大丈夫。」
と繰り返しています。
伯母は、ボクの母とほぼ同い年なので、すでに80才前後でしょう。
「これで、やっと安心して死ねる。」
と母に語ったそうです。

幼い頃から、母は、ボクといとこが一緒にいると、
伯母に気を遣っていたことも思い出しました。
テストでいい点をとったことを伯母たちがいる前で
自慢したとき、要らんこと言わんでもいい、と
叱られたこともありました。

ボクがいとこのお葬式に行き、伯母に会うことを、
母は避けたかったのかもしれません。
50年来の、母と伯母の関係がそこに存在していたのでしょう。

でも、ボクは、
もう一度、いとこに会いたかった。
手を握って、仲良く歩いた遠足を二人で思い出したかった。
そして、
ボクが伯父と大切な約束をしたのに、
なんにもしてあげることができなかったことを
謝りたかった。

ボクが彼に、
さよならが言えなかったのは、寂しかったけど、
一番、寂しかったのは、
ボクじゃないと思います。

今、ボクには、
産婦人科医として
しなくてはいけないことがたくさんあり、
もしかすると、
それこそが、
昔、伯父とした、
約束なのかもしれないと思いました。

天国で、
お酒が好きで、いつも陽気な伯父は、
いとこの手をぎゅっと握りながら、
いい気分でお酒を飲んでいるように思います。

「haruに頼んでおいたから、大丈夫や。」

さよならが言えなかったのは、
ボクにとって、
伯父との約束がまだ続いているからなのかも知れません。

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もう2年経ちました [産婦人科医]

気がついたら、
もう3ヶ月も更新していませんでした。
いろいろ考えることがあって、
なかなかこのブログに、
常々感じている、自分の気持ちや考えをまとめる時間がありませんでした。

そういいながらも、ボクが今の病院に移って、
丸2年が経ちました。

前の病院では、あの場所とあの立場で、自分ができることをやり尽くした気持ちと、
しんどくて、自分が自分らしくあり続けることが難しくなった気持ちもあって、
多くの皆さんに迷惑をかけながらも、飛び出してしまいました。

2年経った今、ボクはどうでしょう?
ちゃんと、自分が自分らしく、やるべきことを十分にできているのでしょうか?
そもそも、ボクの「やるべきこと」ってなんだったでしょう?

スタッフや、病院の規模の大きさにも助けられ、
なんとかそれらしく、日々の業務をこなしています。
でも、なぜか、しっくりこないのです。

もちろん、関わった患者さんや産婦さんには
今まで通り、正面から向かい合い、そして、寄り添っています。
その姿には、なんにも変化はありません

「どっぷり感」というのでしょうか。
前みたいに、深みを感じないのです。

自分が歳をとって、深みに入ると足をすくわれるから、
自然と浅瀬を選んで歩くようになったのでしょうか?
次々とたくさんの患者さんや産婦さんがいて、
単に、ひとりひとりの接する濃さが薄まっているのだけなのでしょうか?
それとも、多くのスタッフに恵まれているおかげで、大きな波が打ち寄せても、
それほど強い力を感じないだけなのでしょうか?

でも、落ち着いて、周りを見ても、
きっと、ボクの立ち位置、向きはブレていないはずです。
たしかに、
力の入り方、というか、抜き方、というか、
その辺は、もう少し加減が必要かもしれません。

もう2年ですが、
きっと、
まだ2年、なんだと思います。
(前いた病院では、10年ちょっと頑張ったんです。)

毎日、毎日、忙しくこなしている仕事に深みが備わってくるには、
まだまだ時間がかかりそうです。

修行はこれからも、まだまだ続きます。

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一生ついていこうと思った [産婦人科医]

ある日の夕方、まだまだ仕事が終わらず、病棟でばたばたと仕事をしているときでした。
ボクの携帯電話が突然なりました。
電話番号は、前の病院の産婦人科病棟です。

 「なになに?」

電話に出てみると、前の病院の産婦人科病棟の師長さんからでした。
「先生、お久しぶりです。お元気ですか~?」
変わらず、やさしそうな声です。
 「元気ですよ、いつだって。わはは。」
「じつは、今度、小児科のS先生が退職されるんですが、」
 「うん、聞いてます。」
その先生からの年賀状に書いてあったので知っていました。
前の病院でずっと一緒に働いていた、大先輩の先生です。
「来週、送別会があるんですが、先生に声をかけてほしい、と言われたんです。」
 「えーっ。残念、こっちの病院の送別会と重なってるわ。」

その日は、うちの病院の産婦人科の先生の送別会でした。
 「二次会とかないんですか?」
「今のところ、その予定はないんですよ。」
 「そうですか、残念ですけど、先生に宜しく伝えてください。」

その小児科のS先生との出会いは、ボクが前の病院に赴任した12年前です。
ドクターになって10年が過ぎたころです。
その先生は、小児科部長で、数年前にやってきて、その病院でNICUを一から立ち上げた先生です。
その先生が京都に来てから、京都府の新生児死亡率が、
全国ワースト1から一気に中程まで上がった、と聞いたことがあります。
新生児医療一筋の先生で、若い頃は、ずっと病院に泊まり込み、
一年間に2,3回しか家に帰らなかったので、住まいは友達とシェアしていたそうです。

ボクが赴任したころも、週に何日かは病院に泊まっていたようです。
詰所の横の休憩室では、ソファーに座って、半分目を閉じて、「瞑想」しているかと思うと、
突然、ものすごい「いびき」が響き渡り、みんながびっくりして飛び上がることもありました。
でも、その先生が、夜通しNICUの赤ちゃんを診ていることを知っているので、
みんな笑っています。

「風邪、引かないでくださいよ。」

突然、自分のいびきで目が覚めた先生は、ばつが悪そうに、
看護師さんたちが休憩時間に食べるためにおいているお菓子をむしゃむしゃと食べ始めます。

 「先生、風邪とか引かないんですか?」
「うん、ぼくは全部の風邪引いているから。」
たまに、数年に1回、のどが痛くなることがあるくらいだそうです。
 「先生の血には、いろんなウィルス抗体ありそうですね。」
先生は、返事をせずに、むしゃむしゃとお菓子を食べ続けています。

「あの、、あの、、あの妊婦さんは大丈夫ですか?」

突然、切迫早産で生まれそうになっている妊婦さんの状態を尋ねてきます。
 「どの妊婦さんですか?」
何人も入院しているので、わかりません。
でも、その先生が、どの妊婦さんのことを心配して尋ねているか、
ボクにはわかっています。
それでも、わざと、聞き返してみます。

「おとといの、ひとです。」
 「ええ、落ち着いています。明日で26週です。」
「もう、大丈夫ですね。いつでもどうぞ。」

そんな、憎めないキャラの先生です。

ボクが、その病院に赴任してまもなくの頃です。

一人の妊婦さんが緊急入院になりました。
妊娠18週で、完全破水です。
まだ、胎児の心拍はありますが、すでに子宮口が開大して、
病院に来たときには、子宮口まで胎児が出かかっていました。
もうどうしようもありません。

妊娠22週未満では、早産ではなくて流産です。
産まれても、100%助かりません。

びっくりして、どうしたらいいのか戸惑う、その妊婦さんに、
今回の妊娠は、抗生剤や子宮収縮抑制剤でも、
この妊娠を22週まで維持することはできない、
従って、赤ちゃんが生まれても、
蘇生することもできないと説明しました。

重苦しい雰囲気が漂いました。

そして、少しずつ強くなる陣痛を静かに待ちます。

じっと詰所で、待機していると、
S先生がやってきました。

「産まれそうですか?」
 「はい・・。残念ですけど。18週は厳しいですよね。」
「そうですね。 でも、産まれるとき、声かけてください。」
 「えっ? 18週ですけど。」
「私が立ち会います。」
 「・・・わかりました。」

ボクは一瞬、どうしたものかと思いました。
妊娠22週なら、どんなに厳しくても、蘇生は必要だと思いますが、
18週では、蘇生のしようがありません。
小児科の先生が関わることが、
そのときのボクには、理解できませんでした。
先生は、ボクに多くを語ろうともしませんでした。

そして、しばらくして、お産になりました。
先生は、妊婦さんの横に寄り添って、お産に立ち会ってくれています。

在胎18週の赤ちゃんは小さいけれど、
形は立派な赤ちゃんです。
するりと産まれてきたので、静かに体を動かしています。

ボクは、おへそを切り、乾いたタオルで赤ちゃんを包みました。

そして、横にいた先生が、
まるで、宝物をもらったかのような優しい笑顔で、
赤ちゃんをやさしく抱きあげました。
おもむろに、聴診器を赤ちゃんの胸に当て、心臓の鼓動を確認しました。

「赤ちゃんは、まだ生きていますよ。抱っこしてみますか?」

お母さんに優しく、尋ねます。
「はい。」
泣きながら、お母さんは、産まれたばかりの小さな赤ちゃんを抱きしめます。

胎盤がでて、ボクが診察を終えたあとも、お母さんは抱っこし続けます。
そして、お母さんが少し疲れた様子を見せると、
今度は、先生自身が交代して、赤ちゃんを優しく抱き続けました。

時折、先生は、すっと手を伸ばし、
聴診器で心臓の鼓動を確認します。

赤ちゃんが生まれて、3時間ほど過ぎた頃、
先生の腕の中で、
ついに赤ちゃんの心臓が止まりました。

S先生は、お母さんに、赤ちゃんが亡くなったことを伝え、
残念ですと一言添えて、
赤ちゃんをそっとお母さんに渡し、分娩室を後にしました。

このとき、この瞬間、
ボクに衝撃が走りました。

助かる命を助けるのは当然でしょう。
助からない命を、苦痛なく過ごせるようにするのも、立派な医療です。

しかし、この先生は、
こんなに小さな命を、
神様からもらった宝物のように大切に、愛おしく、胸に抱き、
静かに、産まれたばかりの命を、一人の人間として迎え入れ、
静かに、また天国へ見送るのでした。

 「これこそが、小児科医の姿。」

その一言だけでした。

そして、ボクは、本当に、自分が恥ずかしくなりました。

何よりも、命の尊さを想いながら、
今までの自分は、
本当の命の意味を、
全くといって良いほど、理解していませんでした。

自分が、もう少しマシな医者だと思い込んでいましたが、
そうでないことに気づきました。

先生は、きっと、
自分のいる病院に赴任してきたばかりの産婦人科医に対して、
命の大切さを教えてくれたのだと思います。
そして、
人間の力ではどうしようもないところにでも、
医療者は関わることができると教えてくれました。

ボクが、先生を心から尊敬し、
一生、ついて行こうと思った瞬間でした。

自分が小児科医になりたかったのに、
産婦人科医になったのも、
この先生に出会うためだったとさえ思いました。

結局、その電話をいただいた次の日に、
前にいた病院を訪ね、
病棟で先生に会うことができました。

 「先生がいる間は、この病院を辞めないつもりでしたが、先に逃げ出しちゃって申し訳ありませんでした。」
「いえいえ。」

先生は、にこにこされていました。

定年を少し過ぎて、やっとリタイヤかと思うと、
また、ご自宅の近くの大病院で、新生児科医として続けられると聞きました。

「ただの人数あわせですよ。」

もしかしたら、またいつか、先生の立ち会いのもとで、
新しい命を取り上げることができるかも知れません。

そして、そのとき、
ボクは、もう少し、まともな医者になっているでしょうか?

その日のためにも、
ボクの産婦人科医としての修行は、
まだまだ続きそうです。


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折り入っての相談 [産婦人科医]

半年ほど前のことでした。

詰所でカルテ(電子カルテなのでパソコンです)に向かっていると、
若い先生が小さな声で話しかけてきました。

今年、ドクターになって5年目、産婦人科を専攻して3年目です。

「先生、折り入って、ご相談があるんですけど・・・。」

いつも礼儀正しい先生ですが、
今日はいつになく、丁寧な口調です。

 「どうしたん?」

「大きい病院から、小さい病院へ移ってみるって、ありですか?」

 「えっ?それって、先生の将来のこと?」

いきなりの質問に、彼がどうすべきかよりも、どう答えるのが正解なのか、つまり、どう答えてほしいと思っているのかを考えてしまいました。

「はい。 それとも、先生から僕をみて、『いやいや、まだこの病院で経験を重ねた方がいい。』とかありませんかね。」

 「なるほど・・・。 どうかなぁ。 いろいろあるもんな。」

実をいうと、ボクはそのとき、最終的になんて答えたのでしょう。
せっかくの「折り入っての相談」なのに、よくわからないと答えてしまいました。
だって、突然聞かれても、何が正解かわかりません。

今になって考えると、
2年間の初期研修のあと、1年間は大学病院で、
そしてこの2年間はうちの病院で研修しているので、
そろそろ異動の話がでてくる時期でもあったのです。

彼は次の病院のことを考えていて、
それも、今より小規模の、スタッフの数も少ない病院をイメージした中で、
自分が十分にやっていけるか?
自分のためにも、患者さんのためにも、
それが「あり」かどうかを聞いていたのでしょう。

もちろん、今の病院と同等に大きい病院はあっても、
より大きな病院はありません。

つまり、
「①もう少しこの病院で腕を磨くか、②もっと小規模病院に移って、ばりばりやっていくか?」
という選択肢なのでした。

ボクが研修医だった時代は、赴任先の病院は大学の教室(つまり、教授)が決めることでしたから、
自分で行く病院を決めることも、
大学の医局長の先生から言われた赴任先の病院を断ることも、
原則、「なし」でした。

自分が忙しい病院に回されると言うことは、自分をそれなりに高く評価してくれていると,
ポジティブに考えたものです。
逆に、大きな病院ばかり赴任しているドクターは、
それほど期待されていないのかも知れないとさえ考えていました。
つまり、
次の赴任先の病院を提示された時点で、
今の自分の、ある程度の評価になっていると言えます。

医師としての、そこそこの経験を積んだころ、
小さめの病院でバリバリと頑張ってみるのは悪くないと思います。
そして、たとえば、ドクターの数が3,4人だとしたら、
一人、ドクターが入れ替わるだけで、
その病院はガラッと変わるのです。
その病院の雰囲気が、たとえよくなかったとしても、
その病院を中身から変えることができるのは自分です。

それに、小規模な病院では、診療以外のことも見えてきます。
マンパワーの限界や治療に用いる器械の大切さなど、
いままで「あって当然」であったものが、今度は「なくて当たり前」になるのです。

もちろん、より安全で、質の高い医療を提供するのは当然です。
大病院では、もっとも重症な状態に対する対応を前提に準備されていますが、
それ以外の病院では必ずしもそうではありません。
そういう部分をカバーするのが、
ドクターとしての技量になるのではないでしょうか?

ある意味、かれの「折り入っっての相談」は、
その技量が自分にあるのか?という質問だったのです。

ボクは、大丈夫だと思います。

自分が思っている以上に、
周りは自分を正確に評価しています。
次の赴任先を提示する前に、
すでに、その病院で十分やっていけるはずと評価されているはずです。

たしかに、経験をお金で買うことはできないし、
経験は日々重ねていくしかありません。
ただ、医療にとって、それ以上に必要なものは、
コミュニケーションの力です。
相談したり、説明したり、聞いたり、見たり、
そういう能力は十分あれば、
患者さんを癒やすこともできるし、
自分自身もドクターとして成長できると思います。

そして、
もう一度、言いたい。

次の職場を、
良くも、悪くも、変えるのは君自身です。

大病院にはない、
患者さんとの距離感を十分に味わってみてください。
君なら、「悪くない」と思えるでしょう。

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穏やかな当直 [産婦人科医]

すこしばかり過ぎてしまいましたが、
新年明けましておめでとうございます。

このブログのプロバイダーであるso-netでは、
定期的にセキュリティIDやパスワードを変更する必要があるそうで
変更を勧めるメールを無視していたらロックがかかってしまいました。
それで、年末年始の更新ができませんでした。

かといって、どうしても皆さんに伝えなくてはならない大事件もなく、
淡々と忙しい毎日を送っておりました。

クリスマスには、今年もボクにはサンタさんは来ませんでしたが、
お正月にはしっかりとお休みを頂き、実家でニコニコと過ごすことができました。
ありがとうございました。

先日の当直のときのことです。

かつて、うちのある先生が、当直明けの朝に、
「昨日の当直は『完封勝利』でした!」
とうれしそうに言ってました。
大きな急変や、出産もなく、ヒマな当直であったことをいっているのです。
 「うまいこというなぁ。」
お産や救急搬送が多いうちの病院では、
いわゆる、「なんにもなかった」当直は珍しいのです。
お産や緊急帝王切開はもちろんのこと、
婦人科癌で入院中の患者さんの急変もしばしばです。

とくに、この年末あたりから、ボクが当直の時は大賑わいで、
麻酔科の若い女性のドクターが病院の当直医のミーティングでボクの姿を見ると、
「先生、今日、当直ですか? 覚悟しておきますっ!」
というくらいでした。

ところが、ついにやってしまいました。

その日は日曜日で、当直勤務は24時間でした。
朝に、不正出血の患者さんの外来受診が1名きて診察、
夕食後に子宮外妊娠の患者さんが腹痛を訴えたので診察をして、
大丈夫ですよ、って説明しました。
あとは、全く、なぁんにもありませんでした。

言ってみれば、
ノーヒット・ノーランってとこでしょうか。
(ちなみに、ヒットはあるけど9回で0点に抑えると「完封勝利」、フォアボールくらいあってもヒットがなければ「ノーヒット・ノーラン」。それもなければ、「完全試合」となります。)

 「こんな穏やかな当直で申し訳ない。ノーヒット・ノーラン。」

ニコニコして、次の朝、出勤してくる先生たちに詰所で順番に自慢をしてしまいました。

「いえいえ、先生、その昨日の当直の前日にきっちり呼び出されてたじゃないですか?」
と、ツッコミをいれてもらいました。
 「そうやった。忘れてた。」

また、別の先生からは、
「こないだの僕の当直の時は、緊急カイザー(帝王切開)に、救急搬送に、普通のお産に、ボコボコでしたよ。」
 「そうやったなぁ。 ごめんなぁ。わはは。」

自分の当直が、たった1回でも穏やかに過ごせたら、
ついうれしくなり、テンションも上がったのですが、
べつに病院のトータルの仕事量が減るわけでもないし、
少し大人げなかったかな、と反省しました。

大切なのは、スタッフそれぞれが疲れ切ってしまわないように、
最高のパフォーマンスで、うまくチームワークでこなしていくことでしょう。

ただ、他のみんなが休んでいる日曜日の当直で、大きな急変がなく、
待機している当直医も呼び出さずにすんだことはよかったと思います。

少し眠れた分、次の日の勤務も、余分に頑張ることができるのです。
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婦人科腫瘍の勉強をしてきました [産婦人科医]

先週、岡山県で開催された、
日本婦人科腫瘍学会に参加し、勉強してきました。

医者になって後半の10年間は、周産期を中心に頑張ってきたので、
婦人科腫瘍の診療については、
もっともっと勉強しないといけません。

こういうことを書いてしまうと、
実際に、ボクが毎日の診療で担当している患者さんたちがたくさんいますので、
「あの先生で大丈夫なの?」
なんて思われてしまいますから、発言は慎重にしないといけませんが。

講演やシンポジウムを聞いていると
最新の知見や手法、先進的な医療について勉強になります。

その中で、おもしろいテーマのワークショップがありました。

「婦人科悪性腫瘍と妊孕能(にんようのう)温存」

子宮頸がんや卵巣がんで手術や抗がん剤を使用するのに、
いかに妊娠できる能力(妊孕能)を保つか?
ということについての講演がありました。

子宮頸がんについて、ある程度進行したものに対しては、
初期のものに行われる円錐切除ではなくて、腹式子宮頸部切除術という術式があります。
子宮頸がんができる子宮の下半分を切除して、妊娠する上半分を残す術式です。
簡単に書きましたが、高度な技術や経験を必要とする手術です。
切除する子宮頸部には、外界から妊娠中の胎児を守るバリアーの役目があり、
その部分を切除するのですから妊娠した場合には当然、妊娠した場合に、感染や切迫早産など、
いくつものトラブルが発生する可能性があります。

腫瘍専門の先生と周産期専門の先生がそれぞれの立場で発表されていました。
腫瘍専門の先生からは、切迫早産を予防する工夫などが示されました。

 「なるほど、なるほど。」

周産期の先生(実は、もともと不妊症が専門だとおっしゃっていましたが)からは、
妊娠に至るまでの問題点や、実際に問題になったトラブルなどが示されました。
切迫早産や前期破水を来たし、残念ながら最終的に早産になった症例も示されました。

 「やっぱりな。 そうなるやろな。」

そのデータの陰には、産科医の苦労があるのでしょう。
ひとつひとつのデータに納得しながら、
少し気になったことがありました。
周産期のアウトカムが、出産時妊娠週数や児出生体重といった、
分娩時の状況が中心のデータで語られていたことです。

しかし、ボクが本当に知りたかったのは、
その赤ちゃんが元気で育っているかです。

同じ早産でも、その生まれるときの状況では、予後が違ってくることもあります。

 「早産で生まれた赤ちゃんは、みんな元気なんですか?」

ディスカッションの時、どうしても、この質問がしたくて、
今にも手を挙げそうになっていると、
学会長をされている先生が手を挙げてこんな質問をされました。

「示されたデータのなかに、いくつか早産の症例があったようですが、
 早産に至った原因はわかりますでしょうか?
 たとえば、破水して感染したものが多かったとか・・・。」

早産が妊娠週数だけでなく、どういう原因であったかを聞くことで、
赤ちゃんたちがどういう状況であったかを推察する質問でした。
岡山のイントネーションでやんわりとした口調でしたが、
実に当を得た質問です。

 「なるほど、そういう訊き方をすればいいのね。」

質問の仕方にも、まだまだ勉強が必要だと感じました。
質問を受けた先生も、よく訊いてくれました、とばかりに、
適切に答えておられました。

 「ふむふむ・・・。」

腫瘍を専門にする産婦人科医と
周産期を専門にする産婦人科医がいて、
話し合い、
最終的には一人一人の赤ちゃんの将来を思う。

これこそが「婦人科腫瘍学」の姿だと感じました。

たくさんの刺激を受けて、京都に戻り、
次の日は家の近所を散歩しました。
近所と言っても、多くの人が訪れる場所です。
秋の景色を眺めながら、
多くの人とすれ違いました。

不妊治療ですぐに妊娠したものの、
まもなくボクが今の病院に移り、
残念ですといってくれた方が、ベビーカーを押してご主人と散歩していました。

 「おお、無事に生まれたんやね。」

また、
小学校高学年くらいの男の子が向こうから走ってきて、
「お母さん!」って言いながら
ボクの横を通り過ぎて行きました。
振り返ってみると、そのお母さんは、
10年ほど前にボクがお産を担当した方でした。

 「おお、元気に育ってるんやね。」

命はつながっている。

これからも、
もっともっと勉強して、

命、ひとつひとつ
そして、
その命と命のつながりを
真摯に見つめていきたい。

・・・頑張りましょう。

ボク一人でできることはそんなに多くない。
しかしながら、
みんなでやれば守ることができる命は
たくさんあるはずだと思いました。


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ボクはたいして頑張っていなかった。 [産婦人科医]

実は、数日前、朝、オートバイで通勤中、
自分の不注意から、
道路の中央分離帯に接触し、転倒し、右足を骨折しました。

単独の事故で、幸いにも、誰を傷つけることもなく、
オートバイも最小限の「擦り傷」程度のダメージでしたが、
自分の足は全治1ヶ月ほどの怪我となりました。

エアバッグジャケットも着用していましたし、革の手袋やブーツも履いていたので
幸いそれ以上の怪我はなかったのですが、
つま先を道路に打ち付けた衝撃は思いの外大きく、
ポッキリと折れてしまいました。
ほとんど無傷のバイクに再度またがって病院まで出勤し、
けんけんでロッカーまで歩き、白衣に着替えました。

痛かった足を見たら、倍くらいにふくれあがっています。

「先生、折れてるのと違いますか?」
詰所で助産師さんに言われました。

 「整形の先生には診てもらっといたほうがいいかな。 いてて・・。」

その日は外来診療でしたから、診察の合間に整形外科の先生に診てもらいました。
学生時代からよく知っている整形外科の先生は、わざわざ産婦人科外来まで診察に来てくれました。

「これ、折れてますね~。」
 「折れてますか、やっぱり。」
「写真撮って、確認しますね。」

産婦人科外来から、患者さんの心配そうな視線を浴びつつ、
レントゲン撮影に一回、ギプス固定に一回、
車いすに乗って診察室から運ばれていくのは恥ずかしかったです。

その日は痛み止めもしっかり効いてくれて、
何とか無事に外来を終えることができました。
もちろん、隣の診察室の先生に、初診の患者さんを何人か診てもらいましたが・・・。

上司の先生に報告しても、
皆さんにこんなに迷惑かけているのに、

「困ったときはお互い様ですよ。早くよくなってください。」
「手術しなくてよかったね。」

と、当直を変わってくれたり、手術の担当を外してくれたり、
申し訳ない気持ちでした。

その後、土日を含めて、外来のない日は休ませてもらい、
5日間自宅で静養することができました。

自分が執刀するはずだった帝王切開が2つあったのですが、
若い先生を主治医にして、婦人科医長が代わってくれました。
(患者さんにも直接謝ることもできました。)
昔、自分もバイクに乗っていて、やはり通勤中に転倒したことがある大先輩の先生は、
たまたま家が近いこともあって、家まで送ってくれました。

ドクターが10人以上もいると、
一人くらいが怪我しても、なんとかなるもんだなと変に感動する一方で、
今まで、「自分がいないと、自分がやらないと」って、
しゃかりきに頑張ってきたことが本当に正しかったのか、って不思議な気持ちになりました。

もちろん、ひとりひとりの患者さんに向かい合って、
自分が思う理想の医療に向かって、
少しずつ重ねてきたことは、
無駄でも何でもなかったはずです。
逆に、それを否定すると、
今の自分は存在すら危ういものと思います。

しかしながら、
自分が怪我をして気づかされたのは、
ほかのドクターと比べても、自分は特別頑張っているわけではない、
自分がやりたい、楽しい、と思うことだけをこだわっていただけだ、
そして、
そうやって自分が頑張っていると思い込んでいるのを、冷ややかに見ている人もいた、
ということです。

一緒に働くドクターや外来・病棟・手術室のスタッフは、
ボクの傷を心配してくれています。

「早くよくなって、焼き肉に連れてってくださいね。」
「無理だけはせんといてください。」

みんなの優しい言葉が、松葉杖以上の支えになっています。

そして、
怪我をしてみて、
周囲からかけてもらう言葉は少しずつ違い、
その少しずつの違いで、
その人が自分のことをどう思っているかも知ることができました。

言葉は、その人そのものです。

そんなたくさんの言葉から、

「君がいなくても、大丈夫なんだよ。」

と、直接誰かからいわれた訳ではなく、
自然と気づかされました。

自分がいなくても大丈夫、ということ自体が、
今まで自分の中にはほとんどなかっただけに、
このことに気づいたのは
重くて、少しきつかったです。

 「ボクはたいして頑張っていなかったな。」

足を怪我して、しみじみ思うのでした。

たくさんのご迷惑、、本当にごめんなさい。

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