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帝王切開を迷った [分娩]

安易に帝王切開するものではない。

ボクはいつもそう思っています。

妊娠期間中から、あるいは分娩開始してから、
合併症やトラブルが起こると、
帝王切開をすることになりますが、
けっして安易に帝王切開はしません。

先月、胎児の発育が悪い妊婦さんがいて、羊水も少なくなってきたため、
主治医のドクターは慎重に管理していました。
陣痛のため入院していると、胎児心拍モニターで遅発性一過性徐脈が出現しました。
子宮口は開大しておらず、陣痛はまだそれほど強くなっていません。
体位変換し、酸素吸入をしても、やはり繰り返し出現します。
「先生、帝王切開でいいですよね。」
 「もちろん、迷うことないんちゃう?」

モニターの解釈にはそれなりの経験も必要でしょうが、
この波形は迷いません。
ただちに緊急帝王切開を行いました。
赤ちゃんが生まれてみると、臍帯に真結節がありました。
それ以外の原因は見当たりませんでした。
臍帯真結節とは、文字通り、臍帯に結び目ができていることで、
臍帯が牽引されると血流が遮断されます。
もちろん、すべての臍帯真結節がこうなるとは限りませんが。
 「やっぱり、徐脈の原因は真結節かな?」
なにはともあれ、生まれたベビーは元気でした。
小さめであったことには他に原因があったかもしれませんが、
徐脈の原因にはなったと思います。

帝王切開を行うことに迷いはありませんでしたが、
突然の胎児機能不全の原因は、確定的なものではなく、「多分」臍帯真結節だと考えました。


その後、しばらくして、久しぶりに帝王切開を迷うことがありました。

40歳を超える高年初産婦で、妊娠初期から軽度の高血圧症がありました。
かといって、薬で治療を要するほどではありませんでした。
妊娠中期のスクリーニングではぎりぎり妊娠糖尿病の診断となりました。
糖尿病内科での管理を受け、
血糖の自己測定と食事制限でなんとかうまくいっていたのですが、
妊娠37週に入り、すこしずつ血糖値が高くなり、
内科の主治医の先生からインスリンによる管理をほのめかされていました。

それでも、この方は、いつもにこにこと診察を受けにきて、
体重管理や食事療法もまじめに頑張っておられました。
きっと、かなり努力されていたと思います。
 「いいお産をしてほしい。」
ボクはそう思っていました。

ところが、
妊娠30週あたりからずっと骨盤位(逆子)でした。
そして、胎児の発育は、どちらかというと正常上限を超えるくらい大きめでした。
妊娠35週の時点でも、やはり骨盤位で、すでに3000グラム近くありました。

 「帝王切開の準備をしておきましょうね。」
「はい。そんな気がしてました。」

この方は、動じることなく、現状を理解されていました。

そして、妊娠36週の妊婦健診のとき、
胎児は骨盤位から頭位へと戻っていました。

 「赤ちゃん、(頭位に)戻ってますね。」

胎児は少し大きめですが、この方ならきっといいお産ができるはず。
(いや、こういう人こそ、普通に経腟分娩して、自信をもって子育てしてほしい。)
ただ、来週診たら、また骨盤位になっていることもあるので、
すぐに手術をキャンセルしませんでした。

妊娠37週の健診でも、胎児は頭位のままでした。
推定体重は3300グラムありました。
羊水も少し多めです。
血圧や血糖はなんとかぎりぎり、といった様子。

内診すると、
児頭は全く骨盤に入ってきていませんでした。
子宮口も硬く、熟化していませんでした。

妊娠35週まで骨盤位だったので、当然といえば当然でしょう。
ただ、それにしても児頭の位置が高すぎます。
妊娠37週の、この時点で、この内診所見。

 「さて、どうしたものか・・。」

本来なら、
もう少し様子を見て、陣痛が来なければ
子宮口を器械的に開大させる、頸管拡張から開始するのが一般的かもしれません。
しかしながら、そのあとの手がなさすぎます。
この方の血圧では、陣痛促進剤はリスクがあります。
児も結構大きいので、それなりに時間がかかりそうです。

それから先は、産婦人科医の経験や勘、といった部分になってきます。

手術をいったんキャンセルして、とことん経腟分娩にこだわってみるのも大切です。
この方が妊娠初期からいろいろ気を使って頑張ってきていることを理解しているだけに、余計に自然分娩をさせてあげたいと思います。

 「いや、やっぱり(経腟では)生まれない。」

ボクは、内診してみて、どうしても経腟分娩が成功しにくいと思いました。
かといって、「決め手」はありません。

迷うところです。

そこで、理由を説明し、念のためにレントゲンで骨盤計測をしてみることにしました。
ある程度リスクがある状態で、安全に経腟分娩できるかを調べる目的です。

結果は、やはり、骨盤が狭かったのです。
小さめの赤ちゃんなら通過できるかもしれませんが、この方の赤ちゃんは少し大きすぎるようでした。
無理したら、経腟分娩は可能かもしれませんが、その「無理」をしたくありませんでした。

診察所見や検査所見、母体の全身状態、胎児の状態、すべてをこの方とご家族に説明し、
情報の一つずつは、どれをとっても帝王切開の決定的な決め手にはならないものの、
いくつもの条件が重なっていくことで、
安全に出産を終了するためには帝王切開が安全ではないかをという方針を提示しました。

もちろん、十分に理解していただき、ボクは妊娠38週に、帝王切開を行うことにしました。

帝王切開をする直前まで、心のどこかで、
自然に陣痛が始まって、つるりんと生まれてくれないかと思っていましたが、
赤ちゃんはあまり生まれたくないようで、骨盤の上の方で、プカプカと浮かんでいました。

結局、帝王切開をして、ベビーを抱き上げてみると、
なんと、臍帯に真結節がありました。

臍帯真結節がある状態で、もしボクが誘発でもしていたら、
もしかすると、先にあった緊急帝王切開になった方のように、
やはり、胎児徐脈が出現して、同じようになっていたかもしれません。

次々と判断することが要求される周産期医療の中で、
また、大病院で若い産婦人科医たちを指導する立場として
久しぶりに感じた「迷い」でした。

ただ、こうした「迷い」は、
もしかしたら、すごく大切な気持ちなのかもしれません。

自然なお産、安全なお産、自分らしいお産・・・、
よいお産を表現する言葉はたくさんありますが、
産婦人科医としてボクが常々想うのは、

「母児ともに、健康なお産」なのです。


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笑顔のなかった妊婦さん [妊娠]

2年ほど前のことです。
(前にいた病院でのことです)

一人の妊婦さんが救急搬送で入院になりました。

初産婦さんで、妊娠8か月目で、前期破水したのです。
入院して調べてみると、すでに強い感染を示す兆候もあり、陣痛も始まっていました。

緊張している妊婦さんとご家族に状況を説明したあと、
ボクは帝王切開で赤ちゃんを娩出しました。

赤ちゃんは1400グラムほどの元気な女の子でした。
NICUで順調に育ち、そのうち無事に退院されていきました。

母体搬送による入院、緊急帝王切開、赤ちゃんはNICUに数週間入院して、
そして、無事退院。

前の病院では、こんな感じの経過の妊婦さんや赤ちゃんが一年に何人かいました。
もちろん、この方の名前は覚えていたのですが、
かといって、強烈な記憶が残っていたわけでもありませんでした。
あえていうなら、「目の大きな、可愛らしい、おとなしい印象の妊婦さん」でした。
それほど強烈な印象が残らなかったのも、
「順調にいった症例」であった、ということでもあるのでしょう。

そして、ちょうど半年前、この方が、ボクがこの病院に異動する直前に外来受診されました。
「尿妊娠反応が陽性」、と問診用紙に記入してありました。

 「2人目、妊娠したんですね。」

診察したら、妊娠初期で、順調です。

「先生、辞められるんですか?」
 「そうなんです。ごめんね。」
「どこの病院に移られるんですか?」
 「〇〇区の病院です。」
 
この方のお住まいは今の病院にほど近いところでした。
前回のときは、同じ区内の診療所から救急搬送されたのでした。

「その病院に行ったら、先生に診てもらえますか?」
 「もちろん、断る理由はありませんよ。」

その後、2回ほど診察して、出産予定日も決まり、
ボクは、この方の紹介状を、次の病院の「自分」宛に書きました。

新しい病院で3週間ほどしたとき、この方が「初診患者」として、
ボクが書いた、ボク宛の紹介状をもって受診されました。

今回の妊娠の経過は、その後もまずまず順調でした。

「先生、大丈夫ですか?」
 「順調ですよ。 今回の診察では、ね。 わはは。」

前のこともあるので、受診のたびごとにかなり心配されています。
一回一回の診察で、ボクから何を言われるか、極限の不安を感じているようでした。

心配されている患者さんに対しては、
ひとつひとつ丁寧に診察所見や検査結果を説明して、
次の受診までの注意事項などを忘れずに伝えることが大切です。

妊娠30週に入ったころの診察では、

「(この妊娠週数は)未知の領域です。 新記録なんです!」
 「ほんとや、どんどん記録更新していくよ! わはは。」

こんな冗談を言える人だったんや、と妙に感心しました。
ただ、この方は、なぜか顔は笑っていませんでした。
もしかしたら、それを心配しているボクの心を読み取っているのか、
安心させようと冗談を言っただけだったのでしょうか?

そして、ようやく、妊娠36週に入りました。
来週の予定帝王切開まで、あと10日という、最後の妊婦健診でした。

診察の順番が来て、診察室に入って来ると同時に見せてくれたのは、
満面の笑みでした。

もともと、可愛らしい感じの方でしたが、
この時の笑顔は、本当に輝いていました。

けっして大げさではありません。
この人は、こんな笑顔で笑えるんだ、と妙に感心しました。

 「うれしいですか?」
「はいっ!」
 「赤ちゃんも順調だし、来週の帝王切開までもう少し頑張りましょう。」
「はいっ!」
 「いい笑顔ですね。そんなにニコニコしてたら、こっちもうれしくなりますね。」
「やっと!って感じです。」

その診察の、2、3日後、夜中に携帯が鳴りました。
今の病院では、当直体制がしっかりしているので、
よほどのことがない限り、携帯電話が鳴りません。
電話は、若い先生からでした。

「先生、来週の帝王切開の予定の、先生の患者さんですが・・・、」
 「うん、どうしたの?」
「さっき、受診されたんですが、破水してました。」
 「えっ??」

36週5日の夜でした。

陣痛はないということだったので、
翌朝、診察することにしました。

翌朝の朝一番で、病棟で診察をしました。
念のために子宮収縮抑制剤を使用していたので、収縮はありませんでした。
しかしながら、少し子宮口は開いてきていました。

悩むところです。

このまま、どんどん開いてきていれば、それはそれで
経腟分娩も選択肢に入ってきます。

でも、この方は、安全第一で生みたいというので、経腟分娩ではなくて、
予定通り、帝王切開での出産を希望されました。

 「では、帝王切開の準備をします。」

緊急帝王切開の扱いになるので、手術室や麻酔科、小児科とも連絡が必要です。

「あの・・・。 明日まで待ってもらえませんか?」
 「え?」
「どうしても、37週に入ってから産んであげたいんです。だめそうですか?」

今日は36週6日ですが、赤ちゃんには大きな問題はないでしょう
 「週数にこだわる時期でもないんですが・・・。」

最後のわがままを聞いてほしい、と言わんばかりのまじめな表情でした。

前回が予定日より3か月も早い前期破水であったこともあり、
きっと、お子さんや、家族などに対する申し訳ない気持ちや、
自分を責める気持ちなど、たくさん持っていたのではないでしょうか?
そして、なんとか今回の妊娠こそは、満期まで持たせたかったのでしょう。

ボクは、数日前に見た、この方の「満面の笑み」を思い出しました。
今日、ボクが妊娠36週6日で帝王切開をしてしまったとしたら、
ボクは、もう、あの笑顔を見ることができないかもしれない・・・。

 「わかりました。」

いくつかのリスクを説明したうえで、
明日まで、子宮収縮抑制剤を継続することにしました。
その点滴は、残量を確認すると、早朝に終了する予定でした。

おきて破りであることは十分承知しています。

しかしながら、思い起こせば、
最初の救急搬送で出会った時から、
ボクはこの方の、本当の笑顔を一度も見ていなかったのです。

この方の、
「妊娠=不安」という図式を、
ボクは「元気な赤ちゃんの産声」だけで打ち砕くことができないかもしれないと思いました。
この方にとっては、妊娠37週という、大切な目標があり、
これを達成しないといけなかったのでしょう。

そして、翌日、朝一番に、予定の「緊急手術」を行い、無事に出産を終了しました。
今度は、元気な男の子でした。

 「元気に泣いてくれて、よかった。」

元気な命と、素敵な笑顔は、つねにセットでないといけないのだと思いました。


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グッジョブ! [分娩]

先日、近くの開業の先生から常位胎盤早期剥離の患者さんの紹介がありました。

常位胎盤早期剥離は200分娩に1例くらいあるもので、
胎児がまだ子宮にいるにもかかわらず、胎盤から出血がおこり、
非常に危険な状態になるものです。
進行の早さや出血の量によって、症状は異なるのですが、
ボクも大切な赤ちゃんの命を守りきれなかった経験があります。
もちろん母体に対しても、その出血量によっては
非常に危険な状態に陥ることがあります。

この日は、手術日で、ボクは2件目の手術が終わったところでした。
産婦人科では朝から同時に二つのチームの分かれて手術をしており、
もう一つのチームも終わっていました。

また、
入院中の別の妊婦さんが、赤ちゃんの状態がよくないという理由で、
今から緊急帝王切開にしようと決めたところでもありました。
(ただ、それほど大急ぎでする必要もないという状態です。)

つまり、その時点で、手術ができる産婦人科医が5人いて、
産婦人科にローテートしている研修医を含めると
ドクター6人が詰め所に集まっていました。
(当然の話ですが、こうしている間にもちゃんと外来では、
3人のドクターが診療を続けており、
診療科長の上司は会議など管理の仕事をされています。)

そんな「間合い」に、この常位胎盤早期剥離の患者さんの搬送依頼の連絡がありました。

病棟と小児科に相談して受け入れができると判断し、
ボクは、依頼元の診療所に連絡を入れました。

 「病棟も小児科も大丈夫です。すぐに送って下さい。」
「助かります。お願いします!」
名前と生年月日が必要な情報なのですが、最初の電話で聞いていました。

メモを持っていたら、
若い先生がそれをくれを手を出してきました。
「医事課にいって、ID(カルテの診察番号)作ります。」
 「おお、サンキュー。」
「輸液とか術前検査も入力しときますね。」
 「おお、助かるわー。」
「先生は手術の入力をお願いします。」
 「ほいきた!」
今度は別の先生が、
「それくらいは、ぼくがしておきますよ。」
 「ええ、いいの?うれしー。でも、それくらいはするよ。」

結局、ボクのすることは何もないくらいでした。
 「なんか、することない?」
「先生は、どんと構えていてください。」
 「1人だけラクしてるみたいで、ごめんね。」

間もなく、患者さんが搬送されてきて、分娩室で診察をしました。

典型的な胎盤早期剥離でした。
痛みや子宮の超音波所見など、こうも典型的な症状がわかりやすく出ていると、
診断も早くつけることができるので、
結果的に胎児や母体には影響が少なくて済みそうです。
研修医の先生にも本当にいい経験です。

ボクは、本人さんと付いてきたお母さんに状況を説明して、
手術の同意を得ました。
あまりの急な変化に、本人もお母さんもまだ気持ちが追いついていないようです。

 「頑張りましょう。」
「お願いします。」

ものの数分で手術室に患者さんを運び、
あとは手慣れたもので、
あっという間に娩出です。

少し出血は多かったものの、赤ちゃんは生まれてすぐに元気に泣いてくれました。
小児科の先生もホッとされた様子でした。

 「よかった、よかった。」

それにしても、早い、早い。

ドクターが6人であっという間に、電子カルテのオーダーや点滴などの処置、
手術前の検査、もちろん、病棟の助産師さんたちもいましたが、
医者でなければできないことって、意外とたくさんあるのです。

ボクがしたことが、患者さんと家族に状況の説明、
麻酔がかかってから一気に娩出しなくてはいけなかったので、
頑張っちゃったくらいです。
(麻酔科の判断で全身麻酔になり、麻酔と同時になるべく早く娩出しないと
赤ちゃんが寝てしまった状態で生まれてくるのです。)

今まで、病院の規模が小さいと言う理由で、
こういった超緊急の帝王切開が必要な母体搬送は断ってきていました。
麻酔科医や産婦人科医のマンパワーの問題、
母体が重症化したときの集中治療の限界など、いくつかの理由がありました。

しかし、
この病院ではそのあたりがクリアされています。

それぞれのスタッフが、自由に動いているようで、
彼らには的確な状況判断と責任感があります。
それが、ひとつの目的で有機的に連動して、
無駄のない動きとなっています。

今回のお産は、スピードが最重要項目であったので、
わかりやすかったですが、
周産期には、「スピードだけが大切ではない」という状況もたくさんあります。
ときには、「みんなが立ち止まって、呼吸をそろえる」というか、
緩急をつけなければならないことがあります。

けっして贅沢を言ってはいけないと思うのですが、
うちのチームは、
ドクターや助産師も、
まだまだ荒削りな部分があります。
若さなのかもしれません。

たとえば、緊急帝王切開でお産になったお母さんの心のケアについても、
チームのみんなで考える必要があります。
そういった部分にまで気を配ることができるように
育てて行きたいと思います。

 「グッジョブ!」

いい仕事をしてるけど、
君たちのポテンシャルはそんな程度じゃない。
さあ、みんな、頑張っていきましょう。

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また悲しいお産があった [分娩]

先日、お腹の中で赤ちゃんが亡くなっている、と、
近くの医院から一人の妊婦さんが紹介されてきました。

妊娠7か月目の子宮内胎児死亡でした。

入院の時、ボクは家にいて当直の若いドクターから連絡を受けました。

「すこし時間が経っているようです。」
そのドクターが超音波などの診察の所見を説明してくれました。
あまり時間が経過すると母体にも影響が出てきます。

入院された日は、子宮口を拡げる処置をして、
次の日に陣痛を起こします。

治療方針と一般的な注意とをそのドクターに伝えました。

次の日、ボクは当直でした。
 「明日はボクがいるからね。」
「わかりました。」

優秀な彼女(女性医師です)は、冷静に対応してくれることでしょう。

次の日、朝から陣痛促進剤を使い、陣痛を起こしました。
午後近くになって、陣痛が強まり、そろそろお産になりそうですと連絡がありました。

ボクは分娩室でこの方のお産に立ち会いました。
主治医であるそのドクターがお産の介助をし、ボクは分娩台の横から見守りました。

静かなお産です。

ほどなく、小さな赤ちゃんが卵膜に包まれたままで、お産になりました。

主治医の先生が卵膜をはさみで開き、赤ちゃんを見ると、
臍帯の過捻転がありました。
お腹の中で、胎児への血流が途絶えてしまったようです。
妊娠中期の子宮内胎児死亡の原因としては、
この臍帯過捻転がもっとも多いのです。

ボクは、御主人に説明し、
そして、頭を下げ、小さな赤ちゃんに手を合わせました。

 「助けてあげられなくてごめんなさい。」
心の中で、赤ちゃんに話しました。

それに合わせて、御主人も、立ち会っていた若いドクターたちも、助産師も、
みんなが手を合わせてくれました。

お産を終えたお母さんも、静かに涙を流しています。


前にいた病院でも、やはり悲しいお産がありました。
そのたびごとに、
ボクはこうやって、手を合わせていました。

そして、前にいた病院では宗教的な背景もあったので、
お別れ会として、スタッフみんなが集まり、
赤ちゃんとお母さんのために祈るひとときがありました。

お別れ会では、亡くなった小さな命に対して、
そして、悲しみにくれるお母さんやお父さん、ご家族に対して、
ボクら医療者の思いや祈りを伝えることができました。

それでご家族が少しで癒されることができれば、と思いました。
もちろん、形ばかりの儀式のように見えることもあったかもしれません。
受け止め方はいろいろあるでしょう。

しかし、お別れ会では、
悲しいお産に立ち会ったボクらスタッフが、
自分たちの気持ちを素直に表すことができました。

医療者は、患者さんが泣いているときでも、一緒に泣くのではなくて、
医療者として、冷静にそれを受け止めなくてはいけません。
だからといって、悲しくないわけではないのです。

死、という悲しみに、
素直に涙を流すひとときがあることで、
その悲しみを、人として受け入れることができます。

「先生、お別れ会、どうしましょう?」

悲しいお産の後に、お母さんからそう聞かれたこともあります。
看護師さんがお別れ会をしますか?と尋ねたのです。
お別れ会は、宗教色がないわけでもないので、
患者さんの中にはお別れ会を病院で受けることそのものに
抵抗を感じる方もありました。

 「もしよければ、ボクたちに、赤ちゃんのためにお別れをする時間を少しだけください。 ボクたちが気持ちを整理して前に進むためにです。」

ボクは、そういってお別れ会をお願いしました。


今回の、この悲しいお産を、
若いドクターたちと振り返りながら、
できればこの病院でもお別れ会をしたいんだと話しました。
そこには宗教的な背景はとくにいらないと思います。

「先生、それで、赤ちゃんに手を合わせていたんですね。」

納得しました、とばかりに研修医の先生がいいました。
ボクが分娩室で手を合わせたのに、すこし驚いたのだそうです。
ボクのとった行動がおかしい、というのではなくて、
これまでに、そうするドクターがいなかったというのが理由のようです。
たとえ、何かの理由で医療者として赤ちゃんに手を合わせることができなくても、
人として手を合わせて欲しいと思います。

 「一番大切なことは、今日の、このお産と赤ちゃんのことを、ずっと覚えておくことや。 絶対忘れんといて欲しい。」

純粋な、この先生たちに、ボクの思いがしっかりと伝えることができたと思います。


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「ひとは生きてきたように死ぬ」 [産婦人科医]

当直のある夜、申し送りの時、巡回してきた師長さんとナース
ある患者さんのことについて詰所で話をしていました。

産婦人科の患者さんではないのでよく知らなかったのですが、
かなり長い間入院していたそうです。
このお正月に家族がやっと家に連れて帰ることになってよかった、という話です。

 「家族って、一緒にいるのが一番なんですよね。」

ボクはいつもそう思っています。
入院が長くなればなるほど、家に帰るのが不安になるものですが、
それでも、自分の家以上に居心地がいい場所があるはずはないし、
家族が一緒にいればこそ頑張れると思っています。

「でも、あの患者さんは、そうじゃないんですよねぇ・・・。」
 「そんなの寂しいやん。」

いろんな事情があるようです。家族が介護を完全に拒否しているらしいのです。

 「その人にとって、家族ってなんなんでしょうね・・・。」

ため息をつきながら、静かに話していました。

そしたら、その師長さんがぽつりとこう言いました。

「○○師長さんがいつもいってるんです。 『ひとは生きてきたように死ぬ』って。」

多くの命を看取ってきた経験豊富なナースがいった一言が、ボクの心に突き刺さりました。
死ぬときこそ、その人の人柄がでるということなのでしょうが、
ボクは、家族を大切にしないことがいかに罪深いかという意味だと解釈しました。
それにしても、人の死に対して、あまりにも冷静な言葉です。
この冷静さがすこし、怖くもありました。

生まれてくることだけで一生懸命な小さな命をたくさん見つめてきたボクにとって、この言葉は衝撃でしたが、これからもすべての命を正面から受け止めていこうと思いました。




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メリークリスマス! [産婦人科医]

5年前のクリスマスイブの日、
ボクはこのブログを始めました。
毎日が忙しくて、しんどくて、大変でした。
何かを伝えなくてはいけない、と思い、
思いつくままに、このブログを続けてきました。
まだ5年、もう5年・・・。
長いような、短いような、時間です。

今年のクリスマスイブは3連休の真ん中で、のんびりしていました。
こののんびり感をしばらく味わっていませんでした。
 「クリスマスに3連休なんて、外国みたいやん。」

朝からホームセンターで買い物をし、
午後は子供スイミングの送り迎えをして、その足で予約したケーキケーキ屋さんに取りに行ったり、
スーパーに子供用の炭酸水を買いに行ったりしました。

そして、行く先々で患者さんに出会います。

「先生、今日は休みなんですか?」
 「おぉ、大きくなったねぇ~。」

自分が主治医をして生まれた子供たちと何人かと会いました。
ボクが子供を4人取り上げたお母さん、
このブログで書いたことのある方の旦那さん、
切迫早産で10週間くらい入院して無事、普通にお産になった3人家族、
お産でボクがかかわった人々と、いろんなところで出会いました。

毎年、書いていますが、
クリスマスは、サンタさんから子供たちへのご褒美がもらえる日。
そして、大人たちは、プレゼントをもらった子供の笑顔をみるというご褒美をもらえる日。
宗教を超えた、家族の愛に満ち溢れる日であると信じています。

そして、今年のクリスマスの朝は、ボクの子供がにっこりと微笑み、
ガッツポーズをしながらハイタッチをしてくれました。

今年もちゃんと子供たちにプレゼントをくれたサンタクロースに心から感謝します。

今日26日、外来で3歳くらいの男の子を連れた妊婦さんが受診されました。

男の子に、
 「サンタさんからプレゼントもらえたん?」
と聞きました。

「・・・・。」

男の子は、もじもじとしながら、小さくうなづいてくれました。

 「よかったなぁ。」

ボクもうれしく感じました。

「でも、一日遅れやったんやな。」

男の子は笑っていますが、お母さんが状況を補足してくれました。
どうやら、この子にサンタは一日遅れでプレゼントを持ってきてくれたようです。

 「サンタも忙しいからな。」

来年は、この子にも弟か妹ができて、
さらに、にぎやかなクリスマスになっているのでしょう。
今度はちゃんとクリスマスの朝にもらえますように。

いろんなことを、しみじみ感じながら過ごしたクリスマスでした。

今年も残りわずかですが、皆さんに

メリークリスマス


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少し早いクリスマスプレゼント [産婦人科医]

今の病院では、外来の担当をする日以外はたいてい手術があります。

これまでは手術といえばほとんどが産科の帝王切開でしたが、
今は婦人科の手術もたくさんあります。

「帝王切開なら目をつむっていてもうまくできる」っていうと言い過ぎかもしれませんが、
前の病院で800回位している(たぶん)のでそれなりにいろんなバリエーションも経験しています。
逆子になっている500グラムくらいの赤ちゃんを、母体(子宮)をなるべく傷つけずに産ませることもやってきました。

しかし、

子宮筋腫や卵巣嚢腫の手術ならともかく、
婦人科がんの手術、子宮がんや卵巣がんの手術は想像以上に細かい手術でした。
リンパ節を廓清するのにはたくさんの技術と経験が必要です。

そして、中年になってこういう手術の修業をあらためて始めたボクにとって、
なによりも「視力」が必要なのです。

ただでさえ老眼鏡が必要になる年代です。
今の上司の強い勧めで、手術用のルーペを買いました。
keeler frame.jpg
これって、けっこういい値段なんですが、退職金を使うことにしました。
ボクへの少し早いクリスマスプレゼントです。

先日、まずは執刀医ではなくて介助医で入った手術の時に装着してみました。

ちょっと気恥ずかしかったです。

なかなか慣れなくて、手術が終わったときにはふらふらしていましたが、
上司の先生によると、

「すぐに慣れるから大丈夫。 これで、婦人科医としての選手生命が10年は延びるから。」
 「ほんまですかぁ・・・?」

頑張って、早く慣れたいものです。
そして、きっとたくさんの命に向かい合うことになるんだと思いました。

ちなみに、ドラマ「医龍」の坂口憲二の気分が味わえます。
実際の見た目はドラマとはかなり違います。
(眼力は負けてないと思うけど・・・。)


iryu3asada2.jpg
(これは「医龍3」のシーンです)

ボクとほかの先生4人(女性の先生ひとりを含む)も一緒に5人で購入したので、
まさかのレンジャーものの再来かもしれません。
いい名前を思いつきませんが
今度はボクの立ち位置は後ろの方ですよ。
ゴレンジャー1.jpg
(これは懐かしいゴレンジャー(前出))



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向かう方向が見えてきた [産婦人科医]

新しい病院にきて、もうすぐ2ヶ月です。

先々週は、小児科のNICUのリーダーの先生たちともごはん食べに行きました。
手持ちのワインを持ち込んでのフランス料理でした。
そこで、今の病院の産科と小児科がかかえていて、解決するべきいくつかの問題について話し合い、
今後の方向性を確認しました。
もちろん、自分たちの家族のこと、趣味など、そんなことを話し合うのも
お互いの人柄を理解し合うのに必要です。
中年男3人がフランス料理はどうかとも思いましたが、意外と楽しかったです。
また行きましょう、と締めくくったのですが、
やはり、すこし色気がなかったので、
今度は、違うメンツを入れるのも悪くないかな、と思いました。

 ちなみに、京都では、一緒に美味しいご飯を食べて交流することを、
 「ごはん食べ」と言います。
 つまり、「ごはん」食べに行く、ではなくて
 「ごはん食べ」に行く、が正しいのです。

若い先生たちとも2、3回くらい飲みに行きました。
数日前に行ったときには、地酒が美味しい居酒屋さんを教えてもらいました。
腹を割って話し合う、という言葉がぴったりの時間でした。
病院の中ではいえない、日頃彼らが感じている本音を聞き、
自分が若い頃、こんな感じで話を聞いてくれた先輩はいなかったなぁ、と、
思いながら、口当たりのよすぎる日本酒をついつい飲み過ぎてしまいました。

次の日、
 「ボク、最後の方、記憶が途切れ途切れなんだけど、ちゃんとお金払った?
  変なこと言ってなかった?
  フランス語とかしゃべってなかった?」

病棟で処置やカルテ書きに忙しそうな先生たちに聞いてみましたが、
「大丈夫。 ばっちりでしたよ。」
 「(ばっちり、って何が?) あ、そう。」
「いい感じで毒も吐いてはりました。」
 「(そこは記憶が残ってるよ。)ホンマ?」
「セーフでした。」
 「よかった。 わはは。」

どうやら、酔ってしまったボクは、きわめて理路整然と、
ドクターとして、医療チームとして、あるいは家庭人として、
生き方について説教していたようです。

そんな「時間外活動」はさておき、
先日、病院の経営企画課が行う、各科ヒヤリングがありました。
来年度の病院経営に関する各科のヒヤリングで、院長や事務長などが中心です。
こちらからは診療科長1名、産科医長2名、婦人科医長1名、病棟師長が参加しました。
それぞれの診療科の方向性、それに伴う経費と収入増加のめどをたてるという目的です。
ボクは産婦人科のうち、産科担当です。

あらかじめ、患者数の増減、診療単価(一人の患者さんが1日で払うお金)や病床の稼働率など、
収入に関わる「数字」をそれなりの理由を持って計算して、
それ以外に産科のかかえる問題も予備資料として提出しておきました。
検討され、それらを解決する手段も話し合われます。
前の病院でも部長としてやらされていた作業でもあるので、問題ありません。

産科と婦人科、別々に行われたのですが、
いくつかの質問を受けるうちに、
この病院の中での産婦人科の位置づけがどの辺りで、
そして、何を期待されているか、ということが逆によくわかりました。
最後に、今後の方針について、院長や副院長からいくつかのアドバイスをいただき、
ヒヤリングは終了しました。

ボクが話したことをすべて瞬時に理解して、説明不足の部分にはするどい質問があり、
さらに的確にアドバイスがありました。
こんな大病院の院長、副院長クラスになると、
医療者としてももちろんですが、管理者としての能力も
人並み以上を必要とされているのだろうと感じました。

この2ヶ月の中で、
若い先生たち、現場のリーダー、病院上層部、
ひと通りのスタッフたちとコミュニケーションがとれました。

これから向かうべき方向と、一緒に頑張るチームが見えてきました。
ここがもっといい病院になって、
みんなが「この病院で働きたい。一緒に頑張りたい。」といってもらえるようにできるはずです。

そして、たくさんの命が安心して生まれることができるようになるはずです。

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今日で卒業しました。 [産婦人科医]

ボクが前の病院に着任した頃にさかのぼります。
10年くらい前になります。

ひとりの女の子がNICU入院していました。
早産の治療中に急変して帝王切開となったのですが、
結果として先天性脳性麻痺となってしまいました。
ボクが着任したころ、この子はNICUにすでに1年近くも入院していました。
うちの病院で重症仮死で生まれて、ずっと退院できずにいたのです。
小児科の先生はどんなときもこの子のことを大切に大切に治療されていました。

そして、しばらくして、
そのお母さんがふたたび妊娠されました。
着任したばかりのボクの外来を受診されました。

「先生、よろしくお願いします。」

聞くところによると、小児科の先生から
妊娠したらボクの外来で診てもらうように言われたそうです。
まだ、着任して間もないころです。
小児科の先生ともそんなにコミュニケーションが取れている時期でもなかったのですが。

「先生なら間違いない、って言われました。」
 「わかりました。 一緒に頑張りましょう。」

前の妊娠が、かなり初期から子宮口が開いてきたこと、
また、家がかなりの遠方で通院に負担がかかること、
なによりも上のお子さんがNICUにずっと入院していることもあり、
少しでもお腹が張ると入院することを希望されました。
妊娠7か月頃から断続的に安静入院となりました。

入院の時、御主人と初めて面会しました。

「先生、上の子のおかげで、ボクらの生活は大変なんです。 今、おなかにいる子だけはなんとか健康で生ませてください。」
 「わかりました。 できることは全部やりましょう。」

ボクもまだ自分が周産期医として自覚していないころです。
表面的な言葉だけでは伝えられない、切実な叫びでした。

帝王切開は少しでも早い時期にという家族の希望もあり、小児科の先生の許可も出たので、
満期に入る少し前に帝王切開を行いました。

帝王切開の前に、御主人があらたまって話がある、と来られました。

「先生。 お願いがあるんです。」

 「なんですか?」

「手術室に立ち会わせてください。」

 「いいでしょう。」

「この目で、元気な赤ちゃんかどうかを、生まれてすぐに自分で確認したいんです。」

 「わかりました。」

「それで、もし、元気じゃなかったら・・・。 ぼくは子供を自分の手で殺します。 先生に迷惑がかからないように、その足で警察に自首します。 ぼくに、そのチャンスをください。 ぼくら家族は、これ以上障害のある子どもを産むわけにはいかないんです。」

ある意味、衝撃的な言葉ですが、本音でもあるのでしょう。
ボクはこの、御主人の言葉を真摯に受け止めました。
絶対に、元気な赤ちゃんを産んでもらおうと、気を引き締めました。

 「気持ちはよくわかります。 でも、大丈夫。 ボクと小児科の先生で、お腹の赤ちゃんを元気に取り上げますよ。 保育器に入ると思うけれど、それくらいだったら、そんなことしないでくださいね。」

帝王切開は無事に終わり、小さな女の赤ちゃんが生まれました。
元気です。
御主人は、いまにもへなへなと座り込んでしまうくらい放心状態です。
心配していたのでしょう。

 「おめでとうございます。」

生まれた赤ちゃんもお姉ちゃんと一緒にNICUに入院しました。

そして、お姉ちゃんは、妹が生まれるのに合わせて在宅医療の準備が進んでいたのです。
気管切開して酸素も投与されているので、まずは、自宅の近くの小児科がある病院へ転院です。
その自宅から近い病院でしばらく経過を見て、自宅で家族一緒に過ごす予定でした。

妹さんもしばらくして退院して何週間かしたころ、
お姉ちゃんが転院先の病院で急変しました。

急性の呼吸障害でした。
感染症も併発して、お姉ちゃんはあっという間に亡くなりました。
この子を大切に診ていた、いや、育て上げた、小児科の先生は、
すぐに転院先に飛んでいきましたが、間に合わなかったそうです。
1年とすこしの、とても短い命でした。

お姉ちゃんが、新しく生まれた妹と一緒に過ごせたのは、
妹がすこし早く生まれたからという理由ではいったNICUの中だけでした。

ボクは、この方とお姉ちゃんと、自分が取り上げた妹ちゃんのことをすっかり忘れていました。

ボクが前の病院を退職する9月の外来のある日、
産婦人科受付の助産師さんが小さなメモを持ってきてくれました。

「先生、患者さんが、このメモを渡してほしいって置いていかれました。」
「誰かわかりませんが、見たらわかってもらえるはずだって。」

そのメモには、患者さんの名前と、こう書いてありました。

「小児科を、今日で卒業しました。 あの時はお世話になりました。 新しい病院でもお体に気を付けてください。」

患者さんの名前を見て、一瞬でたくさんのことを思い出しました。
35週くらいで生まれた妹ちゃんは、小児科の発達外来では、障害もなくなんの問題もない子供でしょう。
それでも、定期的に小児科の先生の診察を受けていたのです。
きっと小児科のカルテには、「発達、異常なし」という内容が毎回記入されていたはずです。
そして、今日、やっと、小児科の先生から「卒業」という言葉をもらったのでしょう。

そう、あの、お父さんは元気で頑張っているのでしょうか?
それにしても、家族4人が一緒に過ごすことはできなかったのが残念でなりません。

「今日で卒業しました。」という、この方の言葉の向こう側には、
まだまだたくさんの思いが詰まっているようにも思えました。

ボクは、一瞬でも、診察室から飛び出して、この方と、大きく育った妹ちゃんの顔を見たかったのですが、
すでに多くの患者さんでごった返している、数時間待ちの外来の待合室から、
この方はあえて、小さなメモでメッセージをくれました。

きっと、
「自分たちに会う時間があれば、一人で多くの患者さんを、少しでも早く診察してあげてください」
という気持であったのではと解釈しました。

「先生、いいんですか?」
と聞いてくれた助産師さんに、

 「いいわ。 このメモで十分。」

そういいながら、次に診察する患者さんの名前を診察室からマイクで呼びました。
ボクの元気な声が聞こえているはずだと思いながら。



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お昼ご飯にお赤飯を買いました [産婦人科医]

前の病院を退職して、
今日から新しい病院に来ました。
10月1日付ですが土日を挟んだので、
今日が初日です。
病院は自宅から少し遠くなりました。
(っていうか、前が近すぎたのかもしれません)
朝一番に院長から辞令をいただきました。
名札の写真を撮影して、医局秘書さんにロッカーの場所を教えてもらい、
諸々の手続きのオリエンテーションがありました。

その後、先輩の先生が手術が終わって案内してくれました。
手術室、外来、病棟、分娩室、ICU・・・。

何人か、ドクターナースを紹介されましたが、
一度には覚えられません。

自分が15年前までの3年弱、ここで働いていて、
若いころに、いろんなことを経験して、勉強して、
うれしい気持ちや怖い気持ちだったことを
思い出しながら回りました。

本当に気が引き締まります。

これからまた、この病院でたくさんの命と向かい合っていくのです。

お昼になって、お腹がすいたので、
 「先生、お腹がすきました。」
「じゃあ、休憩しましょう。」

先輩の先生と別れて、院内のコンビニにお昼ごはんを買いに行きました。
ボクがいたころよりずいぶん店舗面積も大きくなり、大手のコンビニ業者が入っていました。
昔は、もっと小さくて、暗くて、並んでるお弁当の種類も少なかったのです。
いわゆる「売店」ってカンジでした。

何にしようかな?って思っている瞬間に、
ボクが昔担当していた患者さんのことを思い出しました。

その方は卵巣がんの患者さんでした。
今でも、フルネームと顔を思い浮かべることができます。
塾の先生をしている、小柄な方でした。
年齢は・・・
もしかしたら、ちょうど今のボクくらいだったかもしれません。

手術をして、化学療法を数回して、数か月の入院ののち、もうすぐ退院かという頃でした。

ボクは朝ごはんを買いに、その「売店」に行きました。
病院の中の宿舎に住んでいたので、
朝ごはんをそこで買って、そのまま仕事するというリズムです。

朝一番のお弁当なんて種類が少ないし、お金もないし、
つい、いつも同じような、コストパフォーマンス重視の朝ごはんです。
ボクはいつものように、
お赤飯のパックを手に取り、レジに並んでいました。

「先生、朝からお赤飯ですか?」

後ろから、その患者さんが声をかけてきました。
 「うん。」
「先生、お赤飯好きなんですか?」
 「そう、好きやねん。」

安くて、量が多いなんて言えなかったし、
実際、飽きないので、毎日でもお赤飯は食べられます。

そして、そんなことがあったあと、
その患者さんは無事退院されて、
ボクの外来を受診されました。

外来でも化学療法を何度かしました。

ある診察の日、
この患者さんが、
「はい、先生、これどうぞ。」
 「なに?」

紙袋を渡されて、覗き込んでみると、
お赤飯でした。
それも、患者さんのお手製です。

「先生、お赤飯好き、っていってはったでしょ?」
 「うそー。 めちゃうれしいわ。 ありがとー。」

外来が終わって、一人でそのお赤飯をお腹いっぱい食べました。
美味しかったです。

そのあと、間もなくして、ボクはほかの病院に移りました。
風の便りで、
その方が再発したと聞きました。
脳に転移して、あっという間に亡くなったそうです。

今日、ボクは、この病院にきて、
15年前と同じように、ご飯を買いに行きました。

何にしようか悩んで、おにぎりやサンドイッチが並んでいる棚の前に立った瞬間、
お赤飯のおにぎりがこっちを向いているように見えたのです。

 「ここは、お赤飯しかないやろ。」

この時、ボクは、あの亡くなった患者さんを思い出しました。

ボクはお赤飯と、ついでにもう1個サンドイッチも買って、
レジに並びました。

お金を払う直前に、後ろを振り返ったけど、
その患者さんはもちろんいませんでした。
若い看護婦さんがびっくりしたような顔をしているだけでした。

 「〇〇さん、ボク、帰ってきたわ。」

上を向いて、心の中でつぶやきました。
どこかで、あの患者さんが自分を見てくれているような気持ちがしました。

そして、医局の、まだ荷物が片付かないデスクでお赤飯のおにぎりを食べながら、
これから始まる、新しい生活を思いました。
職場が変わっても、
ひとりひとりの命に向かい合うことには変わりはありません。

また、これから産婦人科医として、

頑張ります。


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